だからそれはケアではなくて、「手あて」なのだ──『日本病跡学会誌』に『シューベルトの手当て』の書評掲載

日本病跡学会の発行する『日本病跡学会誌』No.106(2023年12月25日発行)にクレール・オペール著/鳥取絹子訳『シューベルトの手当て』の書評が掲載されました。評者は同学会理事長で、弊社刊『音楽と病のポリフォニー──大作曲家の健康生成論』の著者でもある小林聡幸さん。

ふだん華やかなステージに立っている演奏家が,時々,施設で慰問演奏をする,といった生半可なイメージは, 初めのほうで自閉症のポール少年にチェロの響 板──と書いてあるが表板のことのようだ──を拳でぶち破られつつも,ブリッジは倒れなかったので弾き続けたなどという話を読むとまったくお門違いだということがわかり安心する。[略]一般精神科で診ているような自閉症「スペクトラム」ではない,小児科の専門外来や施設でないとお目にかかれない重度の自閉症に向き合っているのがわかる。

 しかしこれは音楽療法の本なのだろうか。緩和ケア病棟で著者は音楽がいかに痛みを緩和するかの臨床研究にも従事するが,そのあたりは実践でありかつ学問でもある音楽療法の領野ではあるのだが,著者はこうした研究の限界にも気がついている。そもそも取り組んでいる対象は自閉症,認知症,末期がんなど狭い意味でのセラピーが有効ではない症例ばかりであって, 音楽によるセラピーというよりは音楽によるケアといったほうがしっくりくるかもしれない。いやいや,ケアという言葉も相応しくない。ケアの語源は心配とか配慮であって,著者のチェ ロは気を配るわけではない。
 [略]
  本書に登場する患者たちも,著者のチェロの音に触れられ,包まれているのを体験しているのではないかと思う。湯浅譲二の曲名を参照するなら「内触覚的」とでも。音楽は音波という振動であり,それが人間の体に共鳴,といった理解は本書にも記されてはいる。たぶんチェロを弾いているほうからするとそれはまさに振動という体感があるに違いない。だけど,その音に包まれるほうからするとそれは振動というよりも,もっと触覚的なものではないかという気がするのである。ポール少年だってチェロのなかを触ろうとしたではないか。だからそれはケアではなくて,「手あて」なのだ。

などなど、臨床家ならではの知見にもとづいて、本書で描かれたさまざまな場面をさらにクリアにして再現してくれるような書評でした。