クラシック/古楽界に衝撃を与える問題の書、ついに邦訳なる!
ピリオド・アプローチはほんとうに正しいのか?
クラシック音楽に真の生命をあたえるものはなにか?!
過去の音楽をそっくり再現して、どうするのか?
なぜ儀式のように音楽を聴かなければならないのか?
原典至上主義?──それは「テクスト・フェティシズム」にすぎないのでは?
古楽が追求すべきオーセンティシティとはどこにあるのか?
そして、「HIP(歴史的知識にもとづく演奏)」とは何をめざすものなのか?──
フランス・ブリュッヘン率いる18世紀オーケストラなどでオーボエ奏者、リコーダー奏者として活躍したほか、楽器製作や音楽学研究の分野でも多大な実績を残し、2011年に惜しまれつつ世を去った著者が、2007年に発表したThe End of Early Music: A Period Performer’s History of Music for the Twenty-First Century(Oxford University Press)。
音楽史のとらえ方を根底から更新し、クラシック音楽家の意識変革をうながし、返す刀で「原典至上主義」に拘泥する古楽演奏にも疑問符を突きつけた同書は、発表と同時に大きな話題を巻き起こした。
「HIP(historically-inspired perfomance; historically-informed performance=歴史的知識にもとづく演奏)」と「修辞学的音楽(rhetorical music)」の理想を知り、楽譜に書かれた音楽をただ再現するだけでなく、生命力にあふれたパフォーマンスをおこなうために、すべての音楽家がひもとくべき書、ついに待望の完訳!
ためし読みもできます! こちらからどうぞ▼
https://hanmoto9.tameshiyo.me/9784865592498
本書の内容と連動し、Apple Music/Spotify/Naxos/YouTubeで聴ける参照音源リストはこちら▼
https://artespublishing.com/news/theendofearlymusic_playlist/
プロフィール
ブルース・ヘインズ(Bruce Haynes)
1942年、アメリカ・ケンタッキー州生まれ。オーボエ奏者、リコーダー奏者、音楽学者。オランダ王立音楽院でフランス・ブリュッヘンに師事し卒業。演奏のかたわら、楽器製作、研究をおこない、1972年より同音楽院で教鞭をとる。バッハ教会カンタータ全曲録音シリーズ(テレフンケン、アーノンクール、レオンハルト指揮)や、18世紀オーケストラ(ブリュッヘン主宰)の演奏活動に参加した。1983年同音楽院を退職、新しくカナダ・モントリオール大学での研究活動に入り1995年にPh.Dを得る。特にオーボエの演奏法や歴史と、バロック時代のピッチについて多くの研究と著作を発表。同大学准教授として教鞭をとった。2011年没。大竹尚之(おおたけ・なおゆき)
1945年生まれ。リコーダー奏者。オランダ王立音楽院でブリュヘン、ヘインズ、ヴィンガーデンに師事、同音楽院卒。バロック・オペラ、オラトリオ、カンタータなどで室内合奏団、合唱団と数多くの共演を重ねている。ルネサンス、バロック音楽の研究でも知られ、大学紀要(東京音楽大学)、雑誌への寄稿も多い。著書に『大竹尚之のリコーダー教本』(トヤマ出版)、訳書にハウヴェ『現代リコーダー教本』(ショットミュージック)、CD録音に『諧謔音楽シリーズ』『僕の好きな歌』『Jacob van Eyckの祈り』『hommage a Jacob van Eyck』などがある。元東京音楽大学講師。
CONTENTS
はしがき
謝辞
序
読譜力(リテラシー)
ロマン派革命
正典主義と古典主義
進歩か適応か
思わぬ発見をする才能(セレンディピティ)
音楽修辞学
意思の表明としての正統性
“要注意”と見なされる正統さ
古楽の終焉
ミュージッキング
用語と概念
I 演奏スタイル
第1章 言い方が違えば、言うことが違う
“流行とは、流行遅れになるもののこと”
革新
料理本を食べる
クロノセントリズム(現代中心主義)──伝統としての音楽
多元主義の台頭──時代に適した演奏スタイル
第2章 足下にご用心──進行形のスタイル
三つの抽象概念──ロマン派、モダン、ピリオド・スタイル
ロマン派のスタイル──絶対性
ロマン派演奏の真髄を遺す録音
革命の予言者たち──ドルメッチとランドフスカ
一九六〇年代のオーセンティシティ革命
ピリオド楽器とロー・ピッチの到来──“奇妙で不揃いな色彩”
連鎖反応
指導者たちのスタイル──名前のないレトリック
第3章 主流のスタイル──“腕はあるけど魂がない”
モダニズムとモダン・スタイル
ロマン派スタイルとモダン・スタイル、演奏習慣の比較
ヴィブラート、音楽のメッセージ
モダニズムの子供たち
モダン・スタイルと比較したピリオド・スタイル
クリック・トラック・バロック
ストレート・スタイルとモダニズム
退屈しないで、さあ!──ストレート・スタイルの説明
II どうロマン派的なのだろうか
第4章 クラシック音楽、ざらついた感触の愛撫
音楽の正典
チャールズ・バーニーと音楽史事始め
ロマン派はなぜ音楽を“古典(クラシック)”と呼んだのか
コンサーヴァトリー(音楽学校)が保存(コンサーヴ)するものとは
絶対音楽(自律の原理)
パッヘルベルのカノンが、“カノン”になる
オリジナリティと天才崇拝
帰属性とデザイナー・ブランド
再演に適うこと、儀式化としての演奏
第5章 透明な演奏者
作曲家の意図(“作曲者への忠誠”)
楽曲とは何か
ヴェルクトロイエ(Werktreue=原典に忠実であること)──音楽の原理主義的信仰
原典至上主義とテクスト・フェティシズム
アンタッチャビリティ(不可触性)
“透明な”演奏者と“完全に忠実であること”
ロマン派が発明した、解釈する指揮者
マエストロのリハーサル
第6章 変わりゆく意味合い、永続する記号
変わりゆく意味合い、永続する記号
記述的記譜と慣例的記譜
不完全なスコア
書かれた楽譜の口述的要素
修辞学的音楽では基本骨子をのみ記譜
暗黙の記譜
ストレート・スタイルとよそよそしい“リハーサル”
様式対解釈
「バッハと言ってテレマンを意味する」──ロマン派時代以前の作曲者の意図
III 時代錯誤とオーセンティシティ
第7章 オリジナル耳
様式とヴィンテージを比較する
セコンダ・プラッティカ
正統性運動の過去の実例
贋作とピリオド演奏会の違い
音楽史学とHIPはどう違うのか
ロマン派とバロック期の聴衆を比較する
ヴィクトリア朝の装いをしたピリオド演奏家たち
第8章 過去をコピーするさまざまな方法
エミュレーションとレプリカ──模倣にたいする二つのルネサンス的アプローチ
エミュレーションの原則
レプリカの原則
正典主義的な体系での模倣
スタイルのコピーと作品のコピー
“亡霊に語りかけること”と作品コピー
コンティキ号の観察
歴史上“何が本当に起こったか”
歴史の彼方──歴史的証拠の賞味期限
アナクロニズムのどこが悪い
第9章 表現手段はメッセージだ──ピリオド楽器
楽器のトレード・オフ
楽器が演奏スタイルにおよぼす影響
秋のヴァイオリン
ピリオド楽器──ハードウェアとソフトウェア
製作家を比較する
オリジナルの“粗”
ルフェーヴル・チェンバロ──スタイル・コピーを超える
もっと“根拠の正しいフェイク”を熱望する
“壊れていないものを直すな”──触らぬ神にたたりなし
IV 何がバロック音楽を、“バロック”たらしめるのか
第10章 バロック的表現とロマン派的表現を比較して
修辞学──コミュニケーションを超えて
もう一度、気持ちをこめて──アフェクション
説得力──聴衆を味方に
デクラメーション(劇的朗読)/エクスプレッション(表現)/フォーアトラーク(演奏)
傾倒──“自身が燃えあがる”バロックの演奏家
ロマン派の表現──“音の自叙伝”
修辞学はロマン派に見捨てられた──“故障につき使用不可”の芸術
美(=美学)に圧倒された修辞学
第11章 虹と万華鏡──ロマン派とバロック期のフレージングを比較する
フィギュールとジェスチャー
旋律フィギュールの実例
対フレーズとしてのジェスチャー
意味の順序もしくは、階層──ジェスチャーとフレーズ
インフレクション(抑揚)──個々の音作り
V “古”楽の終わり
第12章 受動的と能動的なミュージッキング──見てないで自分を育め
カヴァー・バンドの心理
風の中で演奏すれば
装飾(グレーシング)──作曲と演奏の境界
即興演奏──演奏者の領域
作曲上のスタイル・コピー
ロール・オーヴァー・ベートーヴェン
天才という障壁について考える
現代のピリオド作曲を表す二例
デザイナー・レーベル
私たち自身の音楽
第13章 終わりなき革命
“愚者と狂者の音楽”──趣味が受け入れるものの限界
モーツァルトから私たちの時代まで、途切れなかった演奏スタイルという幻想
ベートーヴェン論争と宿命の証明
“終わりなき革命”と変わりゆく趣味
HIPはアンチ・クラシック
デフォルト様式
必要としての歴史家たち
時の彼方を見ようとすること
オーセンティシティの追求
原注・訳注
訳者あとがき
参考文献一覧
参考文献略号一覧
人名索引