『武満徹の電子音楽』早期購入者特典CD「ルリエフ・スタティク」解説をご紹介!

『武満徹の電子音楽』早期購入者特典として、応募者全員にお届けする
武満徹の初期電子音楽作品「ルリエフ・スタティク」の解説を
デジタル化/修復を施した宇都宮泰さんにしていただきました!

同様の内容のリーフレットがCDには付属いたしますが、
いったいどのような音源なのか、今回の仕事はどれほど画期的なものなのか、
購入を迷っている方はこちらの文章から感じ取っていただければと思います!
(CDの応募締切は8/31(金)、CDは8/1から順次発送いたします)

━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

武満徹「ルリエフ・スタティク」のデジタル修復

宇都宮 泰

 作品のデジタル化と修復に関わる機会をいただき、感謝します。

 この作品は原版マスターテープが失われているのですが、これまでにもCD化が行われ、またいくつかのコピーが存在、それらを統合するとよりよい状態で鑑賞できるのではないか、との依頼で作業を開始したのですが、それらソースを詳細に分析してみたところ全てのソースは1957年に出版された、アナログレコードを再生したものであることが判明しました。
 そのため、今回のデジタル化はこの’57年レコードのよりよい再生を行うという方針に決まったのですが、周知のようにレコードの再生は多くのスクラッチノイズ(パチパチ、ポツポツのような異物によるゴミノイズと針の摩擦音)、フォノ・アンプに由来するノイズ、レコード固有のカッティングによる音の歪みやレコードの1周回分早く音が出てしまう(かすかですが)ゴーストという現象(テープ録音で発生する転写とは異なる)、さらにレコード板のゆがみによるランブルノイズなど、旧来は様々な異物が加わった状態でしか再生ができないと考えられていました。
 私は大学専門教育が電子音楽の重鎮たち、諸井誠、上浪渡、塩谷宏の指導を受けることができた幸運な世代で、今回の再生に関して電子音楽的手法の延長線上でもある、相関フィルターによる信号音の純化をテーマに、旧来の、高級なプレーヤーや高級なアンプによるオーディオ再生的観点から離れ、限られたレコード溝から最新のデジタル処理による、より純粋な信号の復元を試みました。

 簡単に概念を解説すると、この手法はモノ信号のレコード溝をステレオ再生し、そのステレオ2チャンネルの「信号相関」から、溝に刻まれた純粋な信号と、それ以外のノイズを識別・分離し、純粋な信号を得るというもので、旧来の高級レコードプレーヤーに代わり、高い時間精度と位相精度を確保したレコード再生を、高級アンプに代わり高速に処理が行えるパーソナルコンピューターと相関フィルターソフトウェアを使用しました。
 ここでいう相関とは、ステレオ2チャンネルのスペクトラム、レベル、位相の関係性で、取り出される信号はそれらステレオ2チャンネルで一致した成分のみを、それ以外の信号をノイズとして排除することなのですが、この処理を高品位で実行することは非常に大きな計算処理を必要とし、現在を代表するCPUの処理能力をもってしても、リアルタイムでは満足に再生もできない、それくらい最先端の処理です。

 このCDでは、1曲目に相関フィルターで処理したそのままのデータを収録しています。そこには先に触れたような不純物であるポツポツノイズ、針の摩擦音、フォノアンプのノイズ、ゴーストばかりか、カッティング歪みさえも大幅に軽減され、レコードを再生したものとは到底思えない音をお聴きいただけることと思います。また、60年前の録音製作技術、少なくともレコードの再生で聴くことのできる音とは異なり、非常に雑音が少なく、音の強弱も大きいことがわかります。
 この手法は今回初めてレコード再生に応用しましたが、最初に聴いたとき、本当に正しく処理できているのか、必要な音の成分を失っているのではないか、自分の耳を疑うほどでした。その疑いを晴らすために、様々なモデルとテスト信号を作成し、処理の正常性や、分離したノイズ(削り落とすわけではなく、分離しただけなので、どちらを聴くこともできる)のみに耳を澄ませ、その中に必要な音の破片が入っていないかどうかも検証しました。

 またそうやって得られた純化された録音を聴いてみると、耳に馴染みのある電子音楽やミュージックコンクレート一般の音色バランス(高音と低音の含まれ方)と違い、かなり高音域が下げられたように聴こえます。ただ、これはレコードとして再生したときには針の摩擦音などによって高音のノイズ成分が付加された状態で聴くと、あまり気にならなかった(おそらくごまかされていた)ものなのですが、純化したものでは明らかに不自然に感じます。この状態がCD1曲目です。
 録音システムには必ず低音から高音に至るまで、途切れることの無いオリジナル残留雑音が存在するのですが、旧来のレコード再生ではノイズが多く取り出すことができなかったものが、純化した信号からはそのオリジナルに含まれる残留雑音を得ることができるのです。その分布を調べてみると、レコードカッティング以前のマスターテープではおおよそフラット(周波数に依存しない)であったはずのものが、高域では故意に下げられているらしいことまで推定できました。さらにこのレコードのA面には、諸井、黛らによる電子音楽が収録されているのですが、そこに含まれるホワイトノイズや正弦波群、スウィープ音からもそのレコードカッティング時に使用されたと推定できる高域を下げるフィルターの詳細を裏付けることに成功しました。

 このCDでは、それらの調査結果からこのフィルターの逆特性を施し、制作当時のマスターテープがどのような音であったのかを再現することが可能であると判断し、多少の音の劣化を覚悟の上、実際にその再現に挑戦してみました。それがCD2曲目です。

 このような処理は調べた限りではこれまでに前例が無く、技術的にも近年までは難しかったと考えられるのですが、それゆえ、単なる耳あたりの良い音を目指すのではなく、論理的により完全であることを目指しましたが、その結果としてレコードの普通の再生では得られない分解能、聴こえなかった様々な成分やニュアンスが手に取るようにわかる結果になったものと自負します。また、おそらく当時は若者であった武満や関わったスタッフ達の様子も。

 この手法が意味すること、この曲に関しては現存するデータが唯一レコードなのですが、仮にマスターテープが良好な状態で残存していたとしても、テープは磁気現象を利用したものなので、減磁や転写などの劣化は時間とともに確実に進行しますが、レコード板に刻まれた溝にはそのような劣化はありません。マスターが残っていたとしても、レコードからこのような方法で復元することは、今後ますます意味を持ってくると考えられます。また、音の良し悪しは作品そのものの本質には無関係とする見解もありますが、私はそうは考えません。低品位の再生しかできなければ、世代を超えた評価を得ることは難しく、専門以外の人々の鑑賞には耐えません。実際に技術的には比べようも無い時代に作られたものでありながら、きらめく本質を持った作品の数々が時代に埋没する現状は見るに忍びないものがあります。

 このような機会が増え、多くの名作が復旧され、より多くの耳に触れることを切に願うものであります。