イアン・ボストリッジ、自著『シューベルトの「冬の旅」』を語る

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 このインタビューは昨年8月11日にドイツのメクレンブルク=フォアポンメルン音楽祭でおこなわれたものです。同音楽祭は、おもに6~9月に同州のさまざまな開催地で、フル・オーケストラから室内楽にいたる幅広い分野のコンサートを120以上も提供するユニークな音楽祭です。卓越したアーティストの人選と充実したプログラムを誇り、この日もボストリッジによる地元の音大生を対象としたマスタークラス、インタビュー、専門家による『冬の旅』の解説および本書の朗読、デイヴィッド・オルデンの映画『冬の旅』の鑑賞会、そして最後にボストリッジによるリサイタルと、まる一日かけての盛りだくさんなプログラムでした。ボストリッジの著書『シューベルトの「冬の旅」(Schubert’s Winter Journey)』は日本語版を含めて12カ国語に翻訳される予定で、ドイツでもすでにドイツ語訳が出版され、アマゾンでベストセラーになるなど高い評価を得ています。この日のプログラムも同著を中心に組まれたものです。

──ボストリッジさんにとっての『冬の旅』の話をうかがわせてください。そもそもボストリッジさんとドイツ・リートとの出会いは10代の頃だったそうですが、ロンドン生まれの少年にとってはひじょうに珍しいことですね。

B(ボストリッジ):最初に出会ったのはたしか12歳のときでした。中学校の音楽の先生がちょっとマニアックな人で、この先生がどういうわけか、私に『岩の上の羊飼い』を歌わせてみようかという気になったわけです。この歌は、シューベルトが唯一ソプラノのコロラトゥーラ用に書いた曲ですから、たいへんな難曲でアマチュアが歌うようなものではありません。先生がピアノを弾き、私が歌い、別の友人がクラリネットを担当したのですから、とんでもない演奏だったのではないかと思います。それが最初のシューベルトでした。その後高校でも素晴らしいドイツ語の先生に恵まれました。この先生はたいへんな歌好きで、歌でドイツ語を教えてしまうほどだったのです。ドイツ・リートについての著作もたくさんあり、いまはロンドンの王立音楽院の教授をつとめています。この先生のお蔭で『美しき水車小屋の娘』を知り、フィッシャー=ディースカウの歌唱を知り、のちに『冬の旅』にもめぐりあいました。

──お書きになった本で、自分の性格ゆえに『冬の旅』に親近感をもったのではないかとおっしゃっていますね。

B:そうなのですが、これはちょっと気恥ずかしい話です。『冬の旅』でよく問題になることのひとつが、この歌の主人公はいったい誰なのか、どんな人物なのかということです。つまりこの人物はどこにでもいる普通の人なのか、それとも──こんな言い方をするとアメリカの出版社には怒られてしまうのですが──いわゆる頭のおかしい奴なのかということです。
 10代の頃は、『冬の旅』にあるような世の中となじまない疎外された存在に気を取られていたところがありましたし、その傾向は大人になってもあるていど引きずっているといえます。

──作品に自分を重ねるというのはだいじなことですからね。でも共感してしまうと、逆に『冬の旅』を歌うのが危険だと感じることもありませんか?

B:いや、私にはそんなことはありません。これを演奏しながら、自分の人生のさまざまな出来事を受け入れてもきました。ピーター・ピアーズとペーター・シュライアーという有名な歌手が、面白いことに、50代になるまで『冬の旅』を歌おうとはしなかったという例もありますが、私には若い頃から始めて、一生歌い続けていく曲であると思えます。けっきょくのところ、『冬の旅』は30代の詩人と作曲家の作品なのですから。

──これまで何度も『冬の旅』を演奏していらしたわけですが、毎回の演奏を違ったものにしようと心がけているとも、本の中で述べられていますね。

B:演奏にはつねに即興的な要素が必要だと思っています。だから、その時々の偶然にまかせる部分を残しておくのです。『冬の旅』はよく歌ってきた曲なので、あまりきっちりとリハーサルはせず、伴奏者とのあいだに信頼関係があれば、本番の自然な流れにまかせるようにしています。『冬の旅』のようなリートは通常小さなホールで演奏することが多いので、聴いている人の様子がよくわかります。そのお客さんの雰囲気や反応でも状況は違ってきますし、ホールの音響、使うピアノなども影響します。人間ですから、その日、演奏の前にどんなことがあったかにも影響を受けますし。だから自由に演奏すれば、新しい要素は自然に出てきます。ただ、そのためには曲をよく知っている必要はあります。それで初めて自由な演奏が可能になるわけですから。

──最後の曲「ライアー廻し」のリハーサルはなさらないそうですね。

B:しないようにしています。じつは2日前にも初めてハンマークラヴィーアの伴奏で演奏したのですが、これは思いがけない経験でした。打楽器のようなドライな音で、噪音の混じったような音を経験したのですが、ピアノとは違った新鮮さが引き出せたと思います。

──この本の中の「村で」という章について質問させてください。この章をとても印象的な文言で締めくくっていますね。芸術家というものは何かをただ描写すべきなのか、それとも何かを変えようとすべきなのだろうか、と問いかけています。自己満足に陥るという点で、『冬の旅』は危険な作品といえるでしょうか? ボストリッジさんは『冬の旅』を歌うことで、どんなことを成しとげたいとお思いなのでしょうか?

B:世の中を変えようと思っているか、という質問でしょうか。『冬の旅』はとても興味深い作品です。外見だけ見るとブルジョワ的な世界を扱っているわけですし、演奏するのもウィグモアホールとかカーネギーホールとか、ブルジョワ的な場所です。でもそれと同時に、これはブルジョワ的価値観に対する抗議であり、少なくとも疑問を投げかけているわけです。手に入れたと思っているブルジョワの世界は幻想で、朝になったら消えてしまうものではないのかと。ただ答えは見えていません。悩ましい問題です。芸術とは何ぞやという問いにもつながることであるといえます。

──まさにその質問で、この章を終えているわけですね。

B:そのとおりです。ブレヒトのような人たちにとっては、芸術の意義とはまさしく何かを変えていくことにありました。でもそれは、いま私たちが抱く考えと必ずしも一致するわけではありません。私はそれとはまったく逆の考え方のなかで育ちました。1960年代や70年代の英米の演劇についていろいろ読んできた世代ですので。演劇を例にとれば、ドイツでは違うかもしれませんが、イギリス、とくにロンドンでは芸術というよりはエンタテインメントになってしまっています。

──この本には、『冬の旅』にはあちこちに政治的含みがあるとの指摘がありますが、これは私には面白い指摘でした。これは徐々に気がつかれたことなのでしょうか?

B:そうですね。この政治的含みについては、よくドイツ文学にはあちこちで書かれていることでもあります。英文学ではこういうことをむしろ避ける傾向があり、あまり見られません。しかしこの連作詩には政治的底流がかなり明確に存在します。『冬の旅』の詩を読んでいつも不思議に思っていたのが、「休息」に出てくる「狭い炭焼き小屋」に住んでいる炭焼きの存在です。彼は姿を見せはしないのですが、いったい誰なのだろうと、なぜここに急に言及されるのか不思議でなりませんでした。そこでいろいろ調べてみたわけですが、最初は経済史に注目し、1800年代に炭がエネルギー源として衰退していったことを考えました。でもしばらくして、メッテルニヒの時代の政治的問題にからんでイタリアのカルボナリ(炭焼きの意。19世紀前半、イタリアとフランスで興った政治結社)のことを思いついたのです。

──ドイツに来てドイツ語でリートを歌うのはどうですか。どこか違うものなのでしょうか?

B:もちろん違います。ドイツ語にかんしては、いつも3カ月くらいドイツ語集中講座を受けてからドイツに来ようと思っているわけです。そうしたらインタビューでもドイツ語で言いたいことを言えるのだろうと。残念ながら怠け者でもありますし、ドイツ語だと思ったことがきちんと言えないのではないかという怖れもあります。でもドイツ語の詩を歌い、自分が心から語りかけた箇所にドイツ人の聴衆が反応してくれると、歌手にはとても刺激になります。リサイタルでリートを歌うのは、一種のドラマを演じることでもあるわけですから。

──最後の質問ですが、ボストリッジさんは音楽大学に行ったわけでもなければ、音楽を正式に勉強なさったことはないと本に書いています。それなのにこんなにまで深く音楽の道を究めることができるのはなぜでしょうか。どうやってこのような本を書くことができるのでしょうか?

B:本質的に私は音楽にはアマチュアで、たぶん多くの面でそれはこれからも変わらないのではないかと思います。音楽が好きになったから、勉強しているだけです。私の音楽にかんする知識はあちこちからの寄せ集めなので、今回この本を執筆していちばん楽しかったのは、書くことによって、自分も音楽のさまざまな側面について多くのことを学べたことです。それでもまだ理解できないことはありますが。

──さっき最後と言いましたが、もうひとつ質問させてください。これまで『冬の旅』を多くのすぐれたピアニストと共演してこられましたが、ピアニストとはどんな存在ですか? ピアニストが違うたびに、違った経験をすることになるのでしょうか?

B:おっしゃるとおりです。さっきリハーサルはあまりきっちりとやらないと言いましたが、だからこそ、ピアニストがもつ推進力は大きいといえます。曲づくりをするのは歌手以上にピアニストであるので、そこで学ぶことは多いですね。ジュリアス・ドレイクとはもう25年近く共演していますが、よく知っている間柄だと演奏には自由さが生まれます。それほどひんぱんではありませんが、他の著名なシューベルト弾きのピアニストと共演することも、新人のピアニストと共演することもあります。トマス・アデスなどはシューベルトの手稿譜を研究していろいろこだわりももっていますし、目から鱗が落ちる思いをします。

──今日はお疲れのところお話をありがとうございました。

(聞き手:Stephan Imorde/岡本時子訳/2016年8月11日、メクレンブルク=フォアポンメルン音楽祭にて)