おのれの内で言葉の多義性を反響させながら慎重に問い続けること──「Mercure des Arts」に『ソング&セルフ』の書評掲載

ウェブ音楽批評誌「Mercure des Arts」に、イアン・ボストリッジ著/岡本時子訳『ソング&セルフ──音楽と演奏をめぐって歌手が考えていること』の書評が掲載されました。評者は秋元陽平さん。

Books|イアン・ボストリッジ『ソング&セルフ』 音楽と演奏をめぐって歌手が考えていること|秋元陽平|Mercure des Arts
http://mercuredesarts.com/2024/03/14/books_bostrige_akimoto/

ボストリッジは、この曖昧さや多義性のうちに芸術作品の可能性を見る彼自身のスタンスについて、非決定の名を借りた芸術礼賛に陥る危険をたえず懸念していることが伝わってくる。最終的に作品解釈にいかなる直接的決定をももたらさないとしても、彼がたとえば植民主義や初期近代の女性史を丁寧に踏査するのも、このような自問が常にあるからだろう。「自分はこれらの曲を演奏すべきなのだろうか? 自分にははたしてそんなことをする権利があるのだろうか?」(p.126.)演奏家であることは、ゴルディアスの結び目を断ち切ろうと刃を振るうことではない。むしろ自身の直感をいちど括弧に括って、おのれの内で言葉の多義性を反響させながら慎重に問い続けることなのだ。彼は「セルフ」と銘打った本書であってもこうして自身のことについて語ることに禁欲的なのだが、それは分析の対象となるブリテンやラヴェルのようなある種のダンディストとは違った意味であるにせよ、どこか共通する芸術的な誠実さではないだろうか。

本書の著者のなかに、「音楽あるいは文学テクストそれ自体がもち、自らを作品たらしめている多義性、非決定性そのものに関心」をもち、「歴史家、演奏家のすがたにオーヴァーラップしつつも、それとは完全に重ならない、第3のボストリッジ」の存在を透かし見る評文を興味深く読みました。