桂川潤さんの逝去を悼んで

『シューベルトの「冬の旅」』『新しい和声』『約束の地、アンダルシア』『礒山雅随想集 神の降り立つ楽堂にて』……数多くの、そしてひとつひとつかけがえのないブックデザインでアルテスの本を装ってくださった装丁家・桂川潤さんが、7月5日、ご病気のため急逝されました。62歳。あまりにも早い、とつぜんのお別れにいまだに言葉を見つけられません。

桂川潤さん死去 装丁家、イラストレーター|東京新聞

桂川さんとは前職時代の2002年、『アイリッシュ・ダンスへの招待』(守安功+山下理恵子著、音楽之友社)のブックデザインを著者のひとり守安功さんの紹介でお願いして以来ですから、もうすぐ20年のお付き合いになります。本の性格に合わせて、重厚さも軽やかさも繊細さも使い分ける抜群のセンスだけでなく、『本は物である』(新曜社、2010)、『装丁、あれこれ』(彩流社、2018)などの著書にあらわれる透徹した思考、文章や会話の端々から伝わってくる「本」というメディアに対する揺るぎない信頼と愛情──それらすべてが、桂川潤さんという装丁家の存在を唯一無二のものにしていたと思います。

とくに近年、桂川さんが打ち込んでいた「漱石本」の研究は、近代日本文学という領域で語られつくした観のある夏目漱石の著作を、ブックデザインという観点から再検証し、橋口五葉、津田青楓といったデザイナーや画家を自著の装丁に起用しながら、みずからも自覚的にアート・ディレクター、出版プロデューサーとしてコミットした漱石のユニークさを浮き彫りにする画期的なものでした。2017年11月、桂川さんが出演された「漱石カフェ」というトークイベントでその研究の一端に接し、「きっとどこかの出版社から出すことが決まっているにちがいない」と思いながらも諦めきれず、「もし可能なら、うちで出させてもらえませんか」と声をかけたときの、「いや、まったくそんな話はなくて……でも、せっかくのお話ですから前向きに考えてみます」という返答に欣喜雀躍したものでした。翌年から始まった「ARTESフレンズ&サポーター通信」での連載を経て、いよいよ今年秋の単行本化をめざし、さまざまな協力者にもめぐまれて、「チーム桂川」の共同作業がエネルギッシュに始まっていたのです。そして先月初旬、惚れ惚れするような口絵デザイン、本文のレイアウトを受け取ったときのため息の出るような感動──。

『漱石とブックデザイン』を桂川さんの手で完成させていただくことは永遠にかなわなくなりました。ほかにも、すでにお願いしていたお仕事、桂川さんのデザインを念頭に準備していた企画などがいくつもあります。途方に暮れるばかりですが、いつでも理想を高く大きく掲げながらも、コストの制限、資材の制約などとうまく折り合いを付けながら、あくまでも具体物としての本を最善のかたちで完成させることに心血を注いでくださった桂川さんのこと、「悪いけど、ひとつひとつ考えて、うまく解決してね」と穏やかに微笑みながら、こちらを眺めておられる気がします。「本は物である」──桂川さんのモットーでもあるこのテーゼを胸に、残されたわたしたちは仕事を前に進めていくしかありません。

桂川さん、これまでありがとうございました。そしてお疲れさまでした。心からご冥福をお祈りします。

[木村]

※下記は、桂川さんが装丁してくださった弊社書籍です。