〈片山杜秀の本〉 3

クラシック迷宮図書館
音楽書月評1998-2003

定価:本体1800円[税別]

  • 四六判・並製 | 280頁
  • 発売日 : 2010年1月23日
  • ISBN 978-4-903951-27-0 C1073
  • ジャンル : クラシック/ブックガイド
  • ブックデザイン:下川雅敏

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本が面白いのか、書評が面白いのか!?──
濫読無双のブックガイド!

“本を目方で買う男”が吟味厳選した音楽書籍74冊。
「音楽を語る」という不可能に挑んだ名著・労作・奇書・珍編を、カタヤマが読む! 唸る! 斬る!
日本中の音楽ファンを驚愕させた『音盤考現学』『音盤博物誌』に続く第3弾は、濫読無双のブックガイド!

サントリー学芸賞&吉田秀和賞ダブル受賞の著者、待望の新作。

『レコード芸術』誌に10年間にわたり連載された「片山杜秀のこの本を読め!」のうち、1998年から2003年までの6年間に書かれた計72本の書評に、同時期に書かれた2本のエッセイを加え、単行本化。
音楽書ってこんなに面白かったのか! 好奇心と歓びにあふれた無類のブックガイド。

プロフィール

  • 片山杜秀(かたやま・もりひで)
    音楽評論家、思想史研究者、慶應義塾大学法学部教授。
    1963年仙台生まれ。東京で育つ。
    慶應義塾大学大学院法学研究科後期博士課程単位取得退学。専攻は政治学。
    著書に『音盤考現学』『音盤博物誌』『クラシック迷宮図書館(正・続)』『線量計と機関銃』(以上、アルテスパブリッシング)、『国の死に方』(新潮新書)、『未完のファシズム』(新潮選書)、『近代日本の右翼思想』(講談社選書メチエ)、『ゴジラと日の丸』(文藝春秋)ほか。朝日新聞、『レコード芸術』などで音楽評を執筆するほか、NHK‒FM『クラシックの迷宮』などでパーソナリティをつとめる。
    2006年日本近代音楽研究の業績により京都大学人文科学研究所から人文科学研究協会賞を、2008年『音盤考現学』『音盤博物誌』により吉田秀和賞およびサントリー学芸賞を、2012年『未完のファシズム』により司馬遼太郎賞を受賞。

    関連番組
    高音質「音楽専門」衛星デジタルラジオ
    ミュージックバードで好評放送中!
    片山杜秀のパンドラの箱
    ◉毎月最終金曜 23:00-24:00
    ◉再放送=翌週土曜 5:00-6:00
    http://musicbird.jp/programs/pandora/

CONTENTS

序にかえて──音楽は読むことと見つけたり

音楽なんかやめちゃえ!(パスカル・キニャール『音楽への憎しみ』)
小太鼓/ギロチン、鐘/暴動(アラン・コルバン『音の風景』)
ソナタ形式と父権社会(スーザン・マクレアリ『フェミニン・エンディング』)
一億総人間レーダー化計画のはてに(最相葉月『絶対音感』)
映画音楽論は蛮勇で行け!(小林 淳[著] 井上 誠[共編]『伊福部昭の映画音楽』)
図形楽譜から出直せ!(一柳 慧『音楽という営み』)
右肩下がりの音楽史(ジェイミー・ジェイムズ『天球の音楽』)
うるさい世界の私(ハンナ・メーカ『失聴』)
政男と誉士夫(下嶋哲朗『謎の森に棲む古賀政男』)
神はエレベーターに宿り給う(ジョゼフ・ランザ『エレベーター・ミュージック』)
電子音楽とノスタルジー(田中雄二『電子音楽イン・ジャパン』)
ほんとうは深刻な「お気楽入門書」(許 光俊『クラシックを聴け!』)
アジア・クラシック三都物語(榎本泰子『楽人の都・上海』)
サイボーグはオルガンの夢を見るか(山之口洋『オルガニスト』)
無調と無責任(中野 雄『丸山眞男 音楽の対話』)
癒しとしての総音列主義(カールハインツ・シュトックハウゼン『シュトックハウゼン音楽論集』)
北極圏のピアニスト(ジョン・P.L.ロバーツ+ギレーヌ・ゲルタン[編]『グレン・グールド書簡集』)
ヴァーグナーは悪、ベルリオーズは善(ジャック・バーザン『ダーウィン、マルクス、ヴァーグナー』)
芸術と大量破壊兵器(フリードリヒ・キットラー『グラモフォン フィルム タイプライター』)
黛敏郎をバカにするな!(岩城宏之『作曲家・武満徹と人間・黛敏郎』)
安川加壽子を見くびるな(青柳いづみこ『翼のはえた指』)
ベルリン・オリンピックと「日本人」作曲家(井田 敏『まぼろしの五線譜』)
永遠に根づかない日本オペラ?(佐々木忠次『オペラ・チケットの値段』)
ハルビン、わがふるさと(岩野裕一『王道楽土の交響楽』)
プロテイン音楽革命(深川洋一『タンパク質の音楽』)
ヴァーグナーはグローバリズムに反対する(ヨアヒム・ケーラー『ワーグナーのヒトラー』)
オペラ《丹波與作》の夢と現実(渡辺 裕『宝塚歌劇の変容と日本近代』)
“日本のバーンスタイン”になりそこなった男(山本直純『紅いタキシード』)
武満徹という迷宮(長木誠司+樋口隆一[編]『武満徹 音の河のゆくえ』)
日本音楽と四度音程(山下邦彦『楕円とガイコツ』)
アニメ主題歌は性差別音楽だ?(北川純子[編]『鳴り響く性』)
覆面試聴のススメ(『ザ・ワイアー』(トニー・ヘリントン)[編]『めかくしジュークボックス』)
「楽聖」とガンバリズム(西原 稔『「楽聖」ベートーヴェンの誕生』)
トスカニーニは嫌い、クレンペラーが好き(和田 司『変貌する演奏神話』)
スターリンこそが超前衛である!(ボリス・グロイス『全体芸術様式スターリン』)
グールドはブーレーズと共闘するか(ケヴィン・バザーナ『グレン・グールド演奏術』)
『セロ弾きのゴーシュ』のユートピア(宮澤賢治『賢治の音楽室』)
親分子分と一君万民(兵藤裕己『〈声〉の国民国家・日本』)
劇場国家としての文革期中国(牧 陽一+松浦恒雄+川田 進『中国のプロパガンダ芸術』)
伝統なんて、信じるなよ!(谷本一之『アイヌ絵を聴く』)
踊り踊るならバロック音頭(竹下節子『からくり人形の夢』)
『春琴抄』と座頭市(チチ松村『盲目の音楽家を捜して』)
『ドグラ・マグラ』と〈歓喜の歌〉(半澤周三『光芒の序曲』)
名人芸、または当たりつづける宝くじ(ウラディミール・ジャンケレヴィッチ『リスト』)
パルジファルはブッダの化身(カール・スネソン『ヴァーグナーとインドの精神世界』)
近代日本と海賊版文化(大家重夫『ニッポン著作権物語』)
オーセンティックという虚妄(渡辺 裕『西洋音楽演奏史論序説』)
NHK交響楽団の正体!(岩城宏之『チンドン屋の大将になりたかった男』)
「宇宙の音楽」なんか聞こえない!(ヨハンネス・デ・グロケイオ『音楽論』)
江戸と東京のつなぎ方(小宮多美江『受容史ではない近現代日本の音楽史』)
ブラバンは民衆の音楽だ?(阿部勘一+細川周平+塚原康子+東谷 護+高澤智昌『ブラスバンドの社会史』)
シュニトケはブーレーズを敵視する(アレクサンドル・イヴァシキン[編]『シュニトケとの対話』)
もしも一九三九年に「神」が「降臨」していたとするならば……(横田庄一郎『フルトヴェングラー 幻の東京公演』)
「名器」を弾くと下手になる?(石井 宏『誰がヴァイオリンを殺したか』)
植物と動物と子供とピアノ(ウラディミール・ジャンケレヴィッチ『遙かなる現前』)
見えない神、聴こえない主題(ピエール・ブーレーズ『標柱 音楽思考の道しるべ』)
「近代の超克」と《ドン・ジョヴァンニ》(河上徹太郎『クラシック随想』)
人間よ、ノイズに還れ(勝 道興『音響のオルガノン』)
音のない映画は死物である(ミシェル・シオン『映画の音楽』)
音楽は人の不幸を知るためにある(Th.W.アドルノ『アドルノ 音楽・メディア論集』)
「オレ様」のいない国で(鈴木淳史『不思議な国のクラシック』)
大革命の騒音がベルリオーズの生みの親だ!(アデライード・ド・プラース『革命下のパリに音楽は流れる』)
遅かりし、パイプオルガン(草野 厚『癒しの楽器 パイプオルガンと政治』)
夏至のスサノヲ、冬至のアマテラス(北沢方邦『感性としての日本思想』)
楕円と眩暈(神月朋子『ジェルジ・リゲティ論』)
自由主義・左翼・未来派という三題噺(秋山邦晴『昭和の作曲家たち』)
長崎出島のジャワ人(中村洪介『近代日本洋楽史序説』)
《画家マティス》こそナチ音楽の規範である(マイケル・H.ケイター『第三帝国と音楽家たち』)
挫折のオペラ史(スラヴォイ・ジジェク+ムラデン・ドラー『オペラは二度死ぬ』)
「女流」と「騒音」(ポーリン・オリヴェロス『ソフトウェア・フォー・ピープル』)
神の子、ブラームス!?(アーサー・M.アーベル『我、汝に為すべきことを教えん』)
音楽はなにも表現しないと、竹林の七賢は言った(ケイ康『声無哀楽論』)
『音楽入門』とその時代(伊福部昭『音楽入門』)
耳の小説、反復の小説(内田百閒『サラサーテの盤』)

あとがき
人名索引