ヒット曲はこうして生まれる!
「帰って来たヨッパライ」「千の風になって」『A LONG VACATION』など
数々のヒット作誕生に携わり、著作権の価値を知り尽くす業界のパイオニアが
音楽出版ビジネス55年の経験を次世代につなぐ!
音楽出版ビジネスとは?
「作詞家・作曲家から楽曲の著作権を預かり、1円でも多く収入を上げるよう、ありとあらゆる努力をする仕事です」
現在フジパシフィックミュージック代表取締役会長を務める著者は、
前身となるパシフィック音楽出版の創業スタッフとして、
1966年に音楽出版ビジネスのキャリアをスタート。
以来今日までに「帰って来たヨッパライ」、「白い恋人たち」
『A LONG VACATION』、「千の風になって」をはじめ、
フォーク・クルセダーズやジャックス、モコ・ビーバー・オリーブ、おニャン子クラブ、
大瀧詠一、山下達郎など無数のヒット作を世に送り出してきた。
本書は、音楽著作権の価値を知り尽くす業界のパイオニアが
アメリカで始まった音楽出版ビジネスの歴史とともに、
作詞家・作曲家、ミュージシャンを支え、
内外のライバルやパートナーと切磋琢磨してきた長年の経験を語ったもの。
音楽を聴くメディアとしてインターネットが主流となったいま、
これからの著作権ビジネスを考えるうえでも必読です。
●本書に登場するおもなミュージシャン、音楽家
ザ・フォーク・クルセダーズ、加藤和彦、ジャックス、大瀧詠一、シュガー・ベイブ、
山下達郎、秋元康、Wink、稲垣潤一、ウルフルズ、BONNIE PINK、Superfly、
バート・バカラック、ポール・ウィリアムス、ロジャー・ニコルス
●著者が携わったおもなヒット作
「帰って来たヨッパライ」「千の風になって」「白い恋人たち」
『A LONG VACATION』「あの素晴しい愛をもう一度」
「悲しくてやりきれない」「結婚しようよ」「ガッツだぜ!!」など
プロフィール
朝妻一郎(あさつま・いちろう)
株式会社フジパシフィックミュージック代表取締役会長、一般社団法人日本音楽出版社協会顧問。1943年東京生まれ。16歳でポール・アンカ・ファンクラブ会長となり、ラジオ番組のアシスタント、音楽の原稿やライナーノーツの執筆を始める。石川島播磨重工業を経て、1966年、株式会社パシフィック音楽出版に入社し、アメリカの音楽出版社のサブ・パブリッシャーとして楽曲の著作権ビジネスでのキャリアをスタート。以後、フォーク・クルセダーズやジャックス、モコ・ビーバー・オリーブ、おニャン子クラブ、大瀧詠一、山下達郎などのヒット作を世に送り出してきた業界のパイオニアである。2019年、平成30年度文化庁長官表彰を受賞。2020年、旭日小綬章を受章。2021年、「Billboard International Power Players」に選出。著書に『ヒットこそすべて オール・アバウト・ミュージック・ビジネス』(白夜書房、2008年)がある。
2020年よりYouTubeチャンネルで「たかなる心の歌」を配信中。
youtube.com/Fujipacific
CONTENTS
はじめに
【パート1】アメリカの音楽市場に参入──ウインドスェプトの成功と売却
①アメリカの音楽業界に学ぶ
英語ができたから米国視察のお供に
スティーヴ・バリのもとへ米国留学
②A&Mの音楽出版社ロンドールとの仕事
大逆転でアルモ/アーヴィンと契約
チャック・ケイ退社の大事件
チャック復帰と頭の痛い問題
③洋楽から始まった日本の音楽出版ビジネス
始めは洋楽サブ・パブリッシャー
全世界・永続的権利の獲得に苦戦
④ウインドスェプト・パシフィック・ミュージックの成功
チャック・ケイと音楽出版社設立へ
独立系最大の音楽出版社に
幸運を引き寄せたスパイス・ガールズ
ウインドスェプト売却、その後
忘れてはいけないM・バンディア
【パート2】洋楽ポップスに魅せられて──パシフィック音楽出版設立
①音楽/洋楽との出会い
音楽との出会いはラジオを通じて
『魅惑のリズム』ポピュラー研究会の活動
助けてくれたヤマハの楊華森さん
②ニッポン放送でアルバイト
高校生なのにラジオ番組の選曲
あとにも役立った亀渕さんの教え
亀渕さんの先見の明のおかげで
50年後に知る、まさかのお蔵入り
僕の原稿は早い、安い、食べられる
ひとりだけの〝一郎〟襲名
高崎さんの周囲に集まるひとたち
木崎さんは友だち、裏切れない
③パシフィック音楽出版設立
高崎さんに誘われ入社決意
実力の〝パシフィック〟を目指して
働いてわかった音楽出版社の楽しさ
「白い恋人たち」はヒットも前払金も大きく
④フォークルとジャックスで学んだこと
「帰って来たヨッパライ」との出会い
ヨッパライで音楽ビジネスを知る
PMPに多大な影響与えた『フォーク・ビレッジ』
ジャックスでまたも失敗
人、場所、時代に恵まれた音楽人生
⑤初期のPMPを支えたヒット曲と人びと
モコ・ビーバー・オリーブ「わすれたいのに」
「山谷ブルース」「長い髪の少女」「白いブランコ」「黒の舟唄」
「結婚しようよ」は加藤和彦君の「絶対売れますよ」から
⑥PMPから〝フジパシ〟へ
会社の運命を決めた石田さんの人望と行動力
3代目社長・羽佐間さんのもとで発展
新会社〝フジパシ〟社長就任とおニャン子クラブの大ヒット
【パート3】アメリカ音楽出版ビジネス小史 複製技術・メディア・著作権
音楽出版社は譜面印刷から始まった
レコード、映画が変えた出版ビジネス
音楽出版社が創った音楽ブーム
著作権団体の確立とBMIの躍進
ロックンロールの時代を切り開いた若き音楽家たち
【パート4】才能たちとの出会い──秋元康、加藤和彦、大瀧詠一、バカラック
①おニャン子クラブと秋元康君
作詞家として頭角現す秋元君
競い合うように生まれたヒット
②加藤和彦君との思い出
名曲「悲しくてやりきれない」誕生秘話
「あの素晴しい愛をもう一度」誕生としばしの別れ
加藤君の名曲は今も歌い継がれる
③大瀧詠一君の才能を信じて
大瀧君の夢が詰まったナイアガラ
エレックからコロムビアに!
10年の信頼がようやく実った
音楽以外の分野でも際立った大瀧君の博識
④アメリカの名ソングライターたち
ポール・ウィリアムス
ロジャー・ニコルス
イングランド・ダン&ジョン・フォード・コーリー、カイル・レニング
バート・バカラック
【パート5】日本の音楽出版ビジネス史──プラーゲからMPAまで
①日本の音楽出版黎明期
〝悪党〟プラーゲに揺れる音楽著作権
プラーゲ旋風がJASRACをつくった!?
②音楽出版ビジネスの先達たち
シンコー・草野昌一さんは良き先輩
ライバル・草野さんと共闘関係に
音楽出版の本流をゆく日音・村上さん
海外でも感じた村上さんの手腕
米国音楽界に信頼された永島達司さん
先輩たちが日本の音楽の〝流れ〟をつくった
③音楽出版社協会(MPA)発足まで
外圧でつくられた日本の音楽出版社
JASRAC改革と2つの出版社団体
日音設立の裏に米国出版社の意向
渡邊美佐さんの尽力で団体統一
MPA歴代会長の残された素晴らしい功績
創作者団体協議会はできたが……
【パート6】価値を高める音楽著作権──変革の時代へ
①85年合併前後のヒット曲
ウルフルズとBONNIE PINK
山下達郎君との出会い
腕利き集団、ムーンライダーズ
洋楽カバーでWinkブレイク
②業界のクオーターバックとして
詞・曲・歌が揃った「千の風になって」
Superflyとの夢
ナイト・テンポの『昭和グルーヴ』
音楽出版社は業界のクォーターバック
③音楽出版ビジネスの現在
音楽出版界の新しい波
IT進化がもたらす音楽出版業界の変革
チェック・ユア・パルスの好調
音楽著作権の資産価値は上がり続けている
すべての出会いに感謝──あとがきに代えて
謝辞
人名・団体名索引
曲名・アルバム名等索引