「競う」よりも「集う」ために──「第1回 本を読む音楽家エッセイコンテスト」受賞作決定!

昨年10月に応募を開始した「第1回本を読む音楽家エッセイコンテスト」は、1月末の締め切りまでに多数の、しかもそれぞれにたいへん力の入った作品をお寄せいただくことができました。

2月17日(火)にオンラインでおこなわれた選考会において、浦久俊彦さん、河野通和さん、アルテス木村による厳正な審査の結果、以下のとおり、受賞作が選定されました。受賞者のみなさま、まことにおめでとうございます。そしてご応募くださったみなさまには、あらためて心より御礼申し上げます。

◉第1回 本を読む音楽家エッセイコンテスト 受賞作一覧

  • 大賞(副賞:図書券50,000円)
    寺平賢司(編集者/松岡正剛事務所)
    「「音連れ」にさらわれる──「韻」によって死者は語る」

  • 優秀賞(副賞:図書券20,000円)
    腰野真那(打楽器奏者/新日本フィルハーモニー交響楽団)
    「世界は待ってくれない、でも」

  • 浦久俊彦賞(副賞:図書券10,000円)
    加藤小夜歌(主婦/リスナー)
    「嵐にあう」
    「本と音楽ーオルフェウス的統合ー」
    (以上2本合わせての受賞)

  • 河野通和賞(副賞:図書券10,000円)
    太田香保(松岡正剛事務所代表取締役/編集者/ピアノ愛好家)
    「音楽とともに生きるということ――パラレルとパラドックスのあいだで」

  • アルテス賞(副賞:図書券10,000円)
    舩木晶帆(フォトグラファー/フリーランス/ピアノ・フルート・パーカッション)
    「はじまりのうた」

  • 軽井沢本の森賞(副賞:なし)
    細田真理(アマチュアバイオリニスト/生活支援員)
    「いのちがけです!!出会いを求めて」
    瀬川裕美子(ピアニスト)
    「「作品:全体/断片」──体感としてストンと腑に落ちる契機~私の造形・造響思考ノート~」

「軽井沢本の森賞」は、作品のユニークさ、インパクトの強さ、ゆたかさなどの見地から、特別賞として顕彰するものです。その他、「参加賞」として、受賞者を含む参加者全員に、アルテスパブリッシングより浦久俊彦さんの最新著作『音楽家は本を読む。 浦久俊彦の乱読道場』を各1冊プレゼントします。

以下に総評と各賞の講評を掲載します。

◉総評と講評

総評 「競う」よりも「集う」ために──このエッセイコンテストがめざしたもの

このエッセイコンテストをはじめることになったとき、1位や2位の順位をつけるつもりはぼくにはなかった。そもそもこのコンテストの目的は「競う」ことよりも「集う」ためだったからだ。「本」と「音楽」というふたつの偉大な文化装置をいかに未来につなげるか? それをともに考える仲間とのコミュニティをつくりたい。コンテストは、そのための「この指とまれ!」のひとつの仕掛けだった。ふたを開けてみると、「本」と「音楽」をつなぐ言葉をみつけるという応募者たちの試みは、優劣などという価値基準をこえてみんながひとつにつながる楽しさをもたらしてくれる気がして、とてもうれしかった。
されどコンテストという性格上、優秀作を選ばなくてはならない。さて、どうするか。ふと、ひとつの言葉が頭に浮かんだ。「大きな才能」と「小さな才能」。これは、ぼくが音楽を志した若き日にある巨匠からいわれた言葉だ。彼はこういった。「数千人の劇場を埋め尽くす観衆を感動させる才能もあれば、小さな部屋のたったひとりを感動させる才能もある。でもその才能の違いは価値の優劣ではない。大きな才能も小さな才能も、同じひとつの才能なのだ」と。そうだ! みんなでゲームをして「勝った」「負けた」といって楽しめるような「競い」ができればいいのだ。「敗者」は「勝者」を讃え、「勝者」は「敗者」を讃える。それがほんとうだ。なぜなら、勝者は勝者としての、敗者は敗者としての価値があるのだから。「勝者」は「敗者」がいてくれるからこそ「勝者」でいられるのだ。
資本主義の罪深いところは、数字の多寡が価値につながってしまったことだ。一万円もっている人のほうが千円もっている人よりも「エラい」と、誰もが疑わないような社会をつくってしまったことだ。お金を持っていない「善人」よりも、一億円もっている「悪人」のほうがエラいなどと、そんなバカなことがあるものか。でも、それがまかり通るような社会を、資本主義という巨大なシステムはつくりあげてしまった。数字の多寡は、多いか少ないかでしかない。それよりも数字に置き換えられない価値をいかに大切にできるか。それが文化だ。「本」や「音楽」がそうであるように──。そんなあたりまえのことを、ぼくたちはあらためてよく考えてみなければならない。ぼくは、このコンテストを通じてつながった「本を読む音楽家コミュニティ」に参加してくれる仲間たちと、そんなことについても一生懸命に考えたり、話し合ったりして、ともに遊びたいと願っている。(浦久俊彦)

◤大賞◢

寺平賢司(編集者/松岡正剛事務所)
「音連れ」にさらわれる──「韻」によって死者は語る

「音」が聞こえてくる文章が好きだ。だが、このエッセイは「音が聞こえる」というよりも「音が躍動する」という趣がある。小泉八雲、ニーチェ、夏目漱石、ボルヘス。冒頭から本好きの触覚をそそる名前が登場するが、やがて折口信夫の『死者の書』にあらわれる独特な擬態語・擬音語(異界と現世のあいだで生じる摩擦音)が「した した した」「つた つた つた」とやってくる。神がやってくるときに音を伴っていたことが「(音連れ)オトヅレ」、すなわち「訪れ」だ。古代人の死者との時空をこえたコミュニケートする感覚(シャーマニズムの感覚)は、作者が長年聴き続けてきたヒップホップに繰り返しあらわれる「R.I.P.」(Rest In Peace〔安らかに眠れ〕)というメッセージにたどりつき、あげく「ラッパーはシャーマンに近い」とまで宣う。見事な転調だ。これはまるでかのヨハン・セバスティアン・バッハが自筆譜の末尾に記した「S.D.G.」(Soli Deo Gloria〔ただ神のみに栄光あれ〕)を連想させるではないか! と、ぼくなどは勝手に思ってしまう。引用された文化人類学者・島村一平の『ヒップホップ・モンゴリア』のおもしろさにあらためて気づかされたのも、このエッセイのおかげだ。大賞にふさわしい、本と音楽と時空が交錯する見事なエッセイである。(浦久俊彦)

折口信夫の小説『死者の書』からモンゴル・ヒップホップへと連想は飛躍し、さらにはアメリカのカリスマ的ラッパー(ケンドリック・ラマーと2 pac)へとつながるアクロバティックな領域越えにスリリングな魅力を覚えます。「古代から来た未来人」(中沢新一)折口が聞きとる「した した した」「つた つた つた」「こう こう こう」という霊妙なる太古の雫の音から、ヒップホップの「韻踏み」につなげ、「異界」への扉を開いて「死者の声を現世に引き寄せようとする」交通路(文脈)を見出す思考、知と感性を揺さぶる直観的な想像力の旅は、文学であり、音楽であり、まさに本賞にふさわしい試みではないか、と楽しみました。この文章に誘い出され、ヒップホップの世界を周遊できたのも幸せでした。(河野通和)

◤優秀賞◢

腰野真那(打楽器奏者/新日本フィルハーモニー交響楽団)
世界は待ってくれない、でも

すぐれて鋭敏な感受性。それに音楽家らしい繊細な世界観のあるエッセイだ。「本」と「音楽」をテーマにした個性的な作品がたくさん届いたけれど、一冊の本も登場しなかったエッセイは、この作品ともう一作だけだった。でも作者の「本」の世界観は確固たるものがある。「世界はたいてい待ってくれない。でも、その世界の中には待ってくれるものもある」。それが「本」だと作者はいうのだ。何が正解で、何が間違いか。あやふやで、正解があるようでないことを、幼い頃の作者は理解できずに「置いていかないで」と感じていた。そんな作者を待っていてくれたのが、本だった。「本はただそこにいて、ただただ私を待っている。(略)その静かで確かな存在に、今までどれだけ救われてきたか」。作者はオーケストラ奏者だ。オーケストラの「仕事のほとんどは生演奏で、百人近い人間が一緒に演奏する。はじまったら終わるまで、全く待ってくれない。(略)その日の一人一人のコンディションによる演奏の違いを瞬時に察知し、自分の演奏も変えていく。反応が反応を呼び、そこから流れが生まれ、大きなうねりとなって、昨日とは違う道を全員で進んで行く」。その感覚を本と対比させて、作者はこう書く。「待ってくれる本と、手を引いてくれる音楽」。見事だ。この「本」と「音楽」をつなぐ美しい言葉に、ぼくは感動した。(浦久俊彦)

言葉では語りつくせないことがある。また表情や仕草だけでは、真意が汲み取れないこともある。誰しもが感じる、「他者」を理解することの困難です。でも、現実は時々刻々と動きます。待ったなし! だから、人間は苦手──そんな「生きづらさ」を感じている人にも、救いがありました。本です。本は即答を求めず、「そこにいて、ただただ私を待ってくれている」「その静かで確かな存在に、今までどれだけ救われてきたか分からない」と。
一方、オーケストラ奏者というのがいまの生業。楽譜を読みながら、その日その日、百人近い人間が集まり、各自の演奏を瞬時に察知し、受け止め、その連鎖の連鎖が流れを生んで、大きなうねりとなって進んでいきます。全員がお互いの一挙手一投足を感じとり、抗えない流れの中をとどまるところなく運ばれていきます。「音楽は私の手を引いて、時間の波の中へと連れて行ってくれる」。音楽の「純粋な強引さ」。
思いをこめて綴られた簡潔な言葉から、書き手の姿が立ち上がってきます。「待ってくれる本と、手を引いてくれる音楽」。この真逆とも思える存在が、やわらかに、希望の広がりとして見えてきます。素晴らしいエッセイだと思いました。(河野通和)

◤浦久俊彦賞◢

加藤小夜歌(主婦/リスナー)
嵐にあう
本と音楽ーオルフェウス的統合ー

このエッセイコンテストに、ひとりだけ2作を応募してきた人がいる。たしかに1作しか応募を認めないとはどこにも書いていないが、とはいえ、2作も応募してくれたから賞に選ばれたわけではない。イギリス文学の傑作ブロンテの『嵐が丘』とベートーヴェンのピアノ・ソナタ『テンペスト』をつなぐ1作目も、ベーレントの名著『世界は音 ナーダ・ブラフマー』とリルケの『オルフォイスに寄せるソネット』をつなぎ、「本も音楽も聴いているのだ。(略)読むことと聴くことは表裏一体だ」といいきる2作目も、「本」と「音楽」をつなぐ作者の言葉がそこにある。でも、ぼくが「参った!」と思わずうなったのは、1作目の書き出しだ。「まず始めに断っておくが、私は何の楽器も演奏できない、小学生の娘たちをもつ中年女性である。しかし、生まれた時に与えられた名は、『小夜歌(さやか)』つまりセレナーデであった」。コンテストの募集メッセージに、ぼくは「楽器をうまく演奏するだけが『音楽家』ではありません。やさしい気持ちで歌を口ずさんだことがあるなら、あなたは立派な『音楽家』です」と書いたが、この音楽的な名を持った女性を「音楽家」と呼べないはずはないではないか。日本語で「小夜曲」と訳される「セレナーデ」は、夕暮れに愛する人の窓の下から歌いかける「愛の歌」で、西洋中世の吟遊詩人の歌が起源とされている。日本では、さしずめ「歌垣」だ。ならばこの賞は、「小夜歌」という美しい名にわが娘への愛を込めた作者のご両親にも捧げたいと思う。(浦久俊彦)

◤河野通和賞◢

太田香保(松岡正剛事務所代表取締役/編集者/ピアノ愛好家)
音楽とともに生きるということ――パラレルとパラドックスのあいだで

エルサレムに生まれニューヨークに住むパレスチナ人思想家エドワード・サイードと、ブエノスアイレス生まれのユダヤ人で、世界的な指揮者・ピアニストであるダニエル・バレンボイム。彼らが交わした比類なき対話集『音楽と社会(Parallels and Paradoxes)』(2004年)は、音楽や社会の諸相にひそむパラレル=相似性とパラドックス=相反性をめぐって繰り広げられた、率直で真摯な白熱のセッションです。
お互いの出自の違い、見解の相違が浮き彫りにされながらも、深い信頼関係に結ばれて、〈「他者」を排除するのではなく、「他者」を認めて融和していく〉ための一つの道筋を示しています。
本書をことあるごとに手にしてきた著者であればこそ、現在の時代状況にたいする音楽家の反応として、今回のエッセイは書かれなければならなかったのだと思います。授賞式には是非、「読み返すたびに違う色のペンでマーキング」したという〝痕跡本〟をご持参いただければ幸いです。(河野通和)

◤アルテス賞◢

舩木晶帆(フォトグラファー/フリーランス/ピアノ・フルート・パーカッション)
はじまりのうた

子どものころから、自分の聴いている音が、ひとにはどう聞こえているのだろうと不思議に思っていた。喫茶店の店員がガラスコップを落としたとき、悪友が黒板を爪で引っ掻いたとき、思わず目をつぶり耳をふさいだ自分のとなりに、なにごともなかったかのように談笑する人の顔が見えて、自分はふつうじゃないのだろうかと思うこともあった。
「私の頭の中には、いつも音が溢れている」という書き出しではじまるこのエッセイは、心地よい音に囲まれたしあわせな記憶をつづるかと思いきや、「皆んなと違う中にいて間違った景色をずっと見ていたような」自分を思い知らされた経験の告白へと変わる。音は、音楽はひとをつなぐだけではない。ときには自分をまわりから遮断し孤独にさせる壁にもなる。
しかし筆者は、そんな「頭の中の音たち」を追い出そうとはしなかった。「私は、私でいることを選んだ」。
きわめて個人的な体験の底に、胸をうつ普遍が顔をのぞかせる。音楽や本のすばらしさをうたいあげるこのコンテストの受賞作のなかに、こんなひそやかな〝うた〟がまじっていてもいい──そんなふうに感じさせてくれるエッセイでした。(アルテスパブリッシング代表 木村 元)

◤軽井沢本の森賞◢

細田真理(アマチュアバイオリニスト/生活支援員)
いのちがけです!!出会いを求めて

瀬川裕美子(ピアニスト)
「作品:全体/断片」──体感としてストンと腑に落ちる契機~私の造形・造響思考ノート~

エッセイとしての巧拙という評価でははかれない、魅力あふれるふたつの作品に、審査員全員の賛意とともに、軽井沢にぼくがつくったひとり図書館の名にちなんで「軽井沢本の森賞」を贈らせていただくことにした。

ひとつめは、このコンテストの募集開始後、真っ先に届いた76歳のアマチュアバイオリニストの作品。「ぬき足、さし足、忍び足! どろぼう学校の遠足だ! それ」という絵本の引用からはじまるこのエッセイは、ほぼ改行も句読点すら判然としない独特な文章だ。このような文章は、プロの書き手ならまず書かない。というよりも「書けない」。息子の幼稚園時代の思い出から、市民オーケストラの奮闘まで、ここには、作者の76年の歳月が、想いが、行間からこぼれ落ちそうなほどにあふれている。一気呵成に流れる読み手のことなどお構いなしのこの文章を、はたしてエッセイと呼ぶべきか。そうではないという人もいるだろう。でも、ぼくにはこの文章に流れる不思議なリズムに音楽を感じた。そこが魅力的だった。

ふたつめは、フランス現代音楽の巨匠ピエール・ブーレーズの音楽を主軸にしたコンサート企画を展開しているピアニストのエッセイ。ここには「造形」という「形あるもの」をいかに「響」として表現できるか、というひとりの音楽家の苦闘がにじむ。それを言葉にするために、作者は自身の読書体験を語りはじめる。河合隼雄と宮澤賢治とパウル・クレー、そしてブーレーズ。ふつうであればまず交わらない4人が、本と音楽の世界では何の不思議もなくつながる。この作品はタイトルからも想像できるように、けっして読みやすい文章ではない。でも、「造響」という作者の造語(?)のなかに、思考するピアニストとしての真摯な姿が透けてみえる。難解さを避けようとせず、そのなかにあえて身を浸す覚悟。ぼくがこの「ノート」に惹かれた理由は、ここにある。(浦久俊彦)


浦久俊彦さん(左)と河野通和さん
(軽井沢「ひとり図書館 本の森」の前で)

◉贈賞式

贈賞式は4月5日(日)15:00から東京・神保町のブックカフェ「月花舎」にて開催いたします。コンテスト参加者は無料でご招待いたします。

当日は受賞者のみなさんからそれぞれ「受賞のことば」をお話しいただくほか、浦久俊彦さん、河野通和さんと受賞者全員による座談会も予定しております。

コンテスト参加者以外のご来場も歓迎いたします。以下のアドレス宛にメールでお申し込みください。入場料はドリンク代込みで2,000円です。会場の定員に達ししだい、締め切らせていただきます。

宛先:info⚫artespublishing.com(⚫=アットマーク)
件名:4/5エッセイコンテスト贈賞式参加申込
本文:お名前(代表者名)/人数

5月には、浦久俊彦さんの「軽井沢ひとり図書館 本の森」にコンテスト参加者をお招きし、「本を読む音楽家ミーティング」を開催する予定です。

◉受賞作は『月刊アルテス』特集号に掲載!

募集時には、大賞受賞作を『月刊アルテス』2026年4月号に掲載するとお伝えしていましたが、その他の作品もこのまま公開できないのはもったいないと考え、大賞以下8作を、『月刊アルテス』号外「本を読む音楽家エッセイコンテスト特集号」に掲載し、4月1日(予定)に配信いたします。『月刊アルテス』は有料の会員制メルマガですが、参加者のみなさんにはこの号を無料配信し、SNSでもシェアしていただけるようにURLを公開いたします。

これから、受賞者や参加者のみなさんを中心に、「本を読む音楽家」のコミュニティをつくり、育てていけたらと思っています。第2回のコンテストをはじめ、それ以外にもさまざまなニュースやイベントを発信していきたいと考えていますので、どうぞご期待ください。

2026年2月27日
株式会社アルテスパブリッシング
代表 木村 元