『ミシェル・ルグラン自伝』推薦コメントのご紹介[1]岡田秀則・服部克久・本城和治・村井邦彦の皆さん、

7月末に刊行した『ミシェル・ルグラン自伝 ビトゥイーン・イエスタデイ・アンド・トゥモロウ』は多くの錚々たる方々から賛辞をいただいています。せっかくですのでこちらからお願いして推薦のコメントをお寄せいただきました。順にご紹介していきたいと思います。

最初にご紹介するのは、フィルムセンターの岡田秀則さん、作曲家の服部克久さん、レコードプロデューサーの本城和治さんからのお言葉、そして先月「アルファミュージックライヴ」という大きなコンサートを終えられたばかりの作曲家・村井邦彦さんからお許しをいただいて同人誌『月刊てりとりぃ』の原稿から一部を掲載させていただきます。

◎岡田秀則(東京国立近代美術館フィルムセンター)
 ジャック・ドゥミの映画『ローラ』の一曲「夢みるロラン・カサール」がかかると、世界のすべての窓が開いたような心持ちがする。ドゥミとミシェル・ルグランが築き上げた幸せな関係のはじまりに立つ、あまりに甘美で、そして未来に開かれた旋律だ。しかしルグランは急遽頼まれたこの映画の曲を、寝る間も惜しんで大急ぎで書いたというから驚かされる。
 『ミシェル・ルグラン自伝』は、そんな彼がついに自らを語った歓ばしい一冊だ。私たちは、いつも頭に新しいメロディが渦巻いているというこの天才肌の作曲家を、あまりに純粋かつ審美的な存在だと見なしてはいないだろうか。確かにこの本には、彼と「閃き」を交換し合う錚々たる人々の姿が終始描かれている。だが同時にこの本は、彼の生み出す音の甘美さが歓喜の言葉だけで語れないことも教えてくれる。彼のジャズを認めてくれた歓ばしい国であるはずのアメリカで、順調な仕事の中で精神の苦しみを味わったというくだりには衝撃を感じずにはいられなかった。
 きらめきに満ちたルグランの仕事でさえ、その背後に歓びと苦しみが幾層にも積み重ねられている。いまそのことを、直接語りかけてくれているかのような彼の言葉で、厳粛に知らされる私たちの僥倖は限りない。

◎服部克久(作曲家・編曲家)
──ミシェル・ルグランの思い出──
 ルグランとは、才能は別としていくつかの共通点があります。まず二人とも父親が音楽家だということです。自伝中には少し複雑な親子関係が描かれていますが、レイモン・ルグラン&ヒズ・オーケストラと言えば、当時のフランスでは知らない人がないくらい有名でした。
 私の父も作曲家で、二人とも言うなれば二代目。
 また、パリ・コンセルヴァトワールでアンリ・シャランとノエル・ガロンという同じ教授に師事したということで、後年日本でミシェルに会った時も、最初はよそよそしかったのが、鬼教授シャランの話になったらすっかり打ち解け、色々と悪口なども交えて盛り上がりました。
 ルグランとはそれからのお付き合いで、もう20年以上前になるかな、サン・クルーの自宅に夫婦で泊めてもらったことや、パリに帰る電車に間に合わないというミシェルの神風運転が恐ろしかったこと、夕食に出たメルランのフライが美味しかったことなど、思い起こせば楽しい思い出は山ほどあります。
 私がパリで学んでいた1955年から58年当時、ミシェルは“ニュー・フレンチ・ジャズ”というタイトルで、すでにかなりの有名音楽家になっていました。シャランもよくミシェルの話をして、「彼は最近、金のキャデラックに乗っているらしい」などと生徒に話しながら、我々を激励(?)していました。
 思い出はそれこそ一冊の本になるくらいありますが、最後に東京のブルーノートでのコンサートに招待された時は、ステージにも引っ張り上げられて、旧交を温めました。
 シャランに師事したというだけで、お互いの音楽性が分かり合えるというのは、幸せなことだと思います。
 まだまだ元気なミシェル、これからも素晴らしい作品を書き続けていってほしい、と心より祈ります。また、ぜひ本書をお楽しみいただきたいと思います。

◎本城和治(元フィリップスレコード・プロデューサー)
──“直感”を信じた鬼才ルグランの見事な創作活動に感銘──
 大学時代にジャズ・ファンとしてLP『ルグラン・ジャズ』に衝撃を受け、入社したビクターではフランス・フィリップス専属だったルグランの様々な音楽作品に遭遇、『シェルブールの雨傘』や『ロシュフォールの恋人たち』のサントラ盤リリースを手掛け、さらに国内アーティストのレコード制作者として歌手の森山良子や加藤紀子らと様々なルグランの名歌を録音、今自宅の棚にはアーティストとしては最多の50枚以上のルグラン関連のCDが並んでいる。
 そしてこのたび待望の『ミシェル・ルグラン自伝』がやっと国内出版されたが、これがまさにミステリー小説のページをめくるワクワク感で次から次へと興味深い内容が引きを切らない。例えばクインシーやピアソラ、バーンスタイン、コープランド等も薫陶を受けた伝説の音楽教育者ブーランジェ女史によるシゴキとも思える学生時代の生々しい記述、マイルスやビル・エヴァンスとの最後の出会い等印象的なエピソードが満載である。
 それにしても常に感心するのはルグラン音楽の信じられない表現の多彩さである。極上の映画音楽や舞台音楽、歌手のためのシャンソンやポピュラー名歌曲の作曲、魔術的なオーケストラの編曲、指揮はもとより名モダン・ジャズ・ピアニストにしてスキャットを含む粋なヴォーカルも得意とする。こんなヴァーサタイルな音楽家は他に知らない。
 これは、欧州と米国を股に架けた60年以上に亘る綺羅星の如きアーティストや映画人との交流を通して、華麗かつ過酷な音楽人生を歩んできたルグランの膨大な仕事の常に革新的な創作の過程が詳らかに語られていて興味が尽きない書である。

◎村井邦彦(作曲家)
 ミシェルとの付き合いは四十数年におよび、ミシェルのことはたいてい解っているつもりだったが、読んでみて“そうだったのか”と改めて知ったことが沢山出てくる。自分自身と正面から向き合い、正直に赤裸々に自分の人生を語るミシェルの物語は驚異に満ちている。現在と過去を交互に交えながら展開する構成は、作曲家が“コンポーザー”と呼ばれ、物事を整理し、うまく並べ替えたり、新しい工夫をこらして作曲するやり方と似ていて、いかにもミシェルらしい。垂直的に進行する普通の自伝よりはるかに文学的だ。
(略)
 もう一つのこの自伝の魅力はいくつか出てくる箴言(アフォリズム)だ。ミシェル自身と、イゴール・ストラヴィンスキーの言葉を引用しよう。
 私の創作への原動力になるものはアカデミーの燕尾服ではなく、好奇心にあふれた精神と即興性、そして音楽自体の豊かさと多様性だ。そしてもっとも重要なのは、永遠に初心者のままでいられる能力である。(ミシェル)
 芸術は枕の上に新しい場所を見つけることで成りたつ。(ストラヴィンスキー)
 この言葉をストラヴィンスキー自身から聞いたミシェルが解説する。「問題の場所を見つけることは難しいことではない。しかしそれはすぐに生温くなってしまうので、また別の場所を探さなくてはならない。それが生き残るための唯一無二の解決策なのだ」
 ミシェルは言葉を大切にする音楽家だということを再認識した。
(『月刊てりとりぃ』第66号(8月号)より)