オヤマダアツシさんの逝去を悼んで

[写真は2018年10月29日、東京・下北沢の本屋B&Bで開催された「小町碧×林田直樹×オヤマダアツシ トークショー」での1枚。左から林田直樹さん、小町碧さん、オヤマダアツシさん]

音楽ライターのオヤマダアツシさんが9月3日、病気のためお亡くなりになりました。享年60。あまりにも早い別れに、まだ心の整理がつきません。

アルテスでは2012年にオヤマダさんの著書『ロシア音楽はじめてブック』を出版し、そして2017年のE.フェンビー著/小町碧訳/向井大策監修『ソング・オブ・サマー 真実のディーリアス』では解説の執筆をお願いしました。NHK交響楽団の機関誌『フィルハーモニー』でも、何度もお世話になりました。

鈴木も木村も、オヤマダさんとは前職(音楽之友社)時代からの付き合いになります。私(木村)は1997年、オヤマダさんのはじめての著書となる『アイリッシュ&ケルティック・ミュージック』(著者名義はペンネームの「山尾敦史」)というガイド本の編集を担当したのですが、人事異動で担当できなくなった別の編集者から途中で引き継いだ企画でした。挨拶に行ったとき、私が「アイルランド音楽って、ぜんぜん聴いたことがなくて……」というと、オヤマダさんはがっかりされるどころか、嬉々としてアルタンやチーフタンズなどの音源を紹介してくださり、「こういうのがいちばん楽しいんだよね〜」とニンマリされるのでした。「帯のキャッチコピー、どうしたらいいでしょうか」と相談すると、当時まだ広告代理店に勤務されていたオヤマダさんは「オレ、本職なんだよね。高いよ〜」などといいながら、即座にいくつもの案を出してくれたものです。

その本が、折からのアイルランド音楽ブームに乗って(もちろん、それを見越してオヤマダさんはその本を企画されたわけですが)よく売れたので、私としてはとうぜん「第2弾、やりませんか?」と持ちかけたわけですが、「やろうやろう」と乗ってくるとばかり思っていたのに、彼は「第2弾はぜひ出してほしいけど、次はもっとディープな内容になるでしょ? それ、もうぼくの仕事じゃないから」といって、すっと身を引かれたのです。第2弾はけっきょく『アイリッシュ〜』の執筆者のひとりだった大島豊(おおしまゆたか)さんに編者をお願いし、アイルランドからヨーロッパに視野を拡げて、『ユーロ・ルーツ・ポップ・サーフィン』というタイトルで1999年に出版することになったのですが、オヤマダさんはといえば、アイルランドの次はイギリスのクラシック音楽に目を向け、1998年に『近現代英国音楽入門』を出版されました(こちらは別の編集者が担当)。こちらも、あくまでもビギナー目線に立った理想的な入門書で、いまだにこれを超える類書はないと思います。

その後オヤマダさんとはお仕事をする機会を得ることのないまま(コンサート会場ではよくお会いしてましたし、結実しなかった企画の相談などもしていたのですが)、わたし自身も会社を辞めて独立、2007年に鈴木とともにアルテスパブリッシングを創業することになります。

それからさらに2年が経過した2009年7月に、こんなメールをいただきました。

極めて個人的な都合ではございますが、今年いっぱいをもちまして一部のお仕事を除き、「山尾敦史」というペンネームをやめ、来年からは本名で仕事をしていくことにしました。
(とはいえ「山尾敦史」がペンネームであることをご存知ない方も、いらっしゃると思いますが)
表記はカタカナで「オヤマダアツシ」です。

これに関しましては、かねてから「人生において区切りのいいところで」と考えておりましたが、[略]およそ15年ほどを共に戦った名前にお休みを与えることにしました。
[略]

「なぜカタカナ表記なのか」については、またの機会に。
カタカナ表記ですとなんだか威厳がないようにも思え、クラシック音楽業界では珍しいと思いますが、来年からは威厳のようなものを必要とする評論的なお仕事はお引き受けしないことも決めております。
(もともと僕は音楽評論家でもジャーナリストでもないのですが、どうしても「書いている人=評論家」というように認知されがちでして、実は自分の中でやや抵抗がありました)

ちょうどこのすぐあとに、なぜか大阪でオヤマダさんとご一緒する機会があって、「オヤマダアツシ」の名刺をいち早くもらって無邪気に喜んだりしていたのですが、どうもかなりの大きな覚悟で改名を決意されたらしく、いつも飄々として軽快なオヤマダさんとはまた違った一面を覗くことにもなりました。

その2年後、2011年の年末だったか、オヤマダさんから急に「来年のラ・フォル・ジュルネ音楽祭はロシア特集なんだけど、ラフマニノフとかチャイコフスキー以外はいまひとつ知られていないので、なんかガイドがつくれないかと思って」と電話をもらい、翌2012年の春に『ロシア音楽はじめてブック』として出版がかないました。ひさしぶりにご一緒した仕事でしたが、「チープでいいから絵本みたいに手軽な雰囲気で」とか「作曲家のガイドって写真が怖いじゃないですか。イラストにしませんか」とか、著者らしからぬ(?)具体的で的確なアイディアの数々に舌を巻きました。まあ、もと広告マンとしてはあたりまえなんでしょうけど。

最後にご一緒したのは、2017年の『ソング・オブ・サマー 真実のディーリアス』の解説です。この仕事については、オヤマダさんの盟友のひとりである林田直樹さんがFacebookで振り返っておられますので、ぜひお読みください。
https://www.facebook.com/Lindennikki/posts/4800902306594019

もしかしたらオヤマダさん、この本を自分で訳したかったんじゃないか、と思うほど入れ込んでくださって、コンピレーションCDの企画・編集やトークイベント出演など、側面から力強く応援してくださいました。

自分は「音楽評論家」とか「音楽ジャーナリスト」じゃなくて「音楽紹介家」がいいな、とおっしゃっていたオヤマダさん。軽快な文体ややわらかい人となりからは想像できないほど、いや逆に、おそらくそんなオヤマダさんらしさを守り抜くために、自分自身の自由を守りとおすために、ときには敢然と戦うことをも辞さなかった方でした。『アイリッシュ&ケルティック・ミュージック』の第2弾を引き受けなかったのも、フリーランスとしてはある意味致命的ともいえる筆名の改名を断行したり、旧態依然のメディアを激烈に批判したりされたのも、すべて自分に誠実に生きたいという気持ちの表れだったにちがいありません。そして、その誠実さこそが、物書きやメディアにかかわる者にはもっともたいせつなものなのだということを、オヤマダさんは全力でわたしたちに教えてくれていたのだと思います。

まだオヤマダさんが旅立たれたことを信じられない、受けとめきれないというのが正直なところですが、これからコンサートやCDを聴いたり、新しい企画を考えたり、プリンを食べたりするたびに、「オヤマダさんのいない世界」を実感することになるでしょう。でも、音楽を真剣に楽しむことと、自分に誠実に生きることとのあいだに、なにか切っても切れない関係があると感じながら生きていれば、少しだけオヤマダさんといっしょにいられるような気がするのです。

オヤマダアツシさんのご冥福をお祈りします。

[木村 元]