◎連載
第10回 日本戦後現代音楽史──前衛とアカデミズムの逸話(1)

音楽・知のメモリア (小鍛冶邦隆)

 1950年代の戦後日本現代音楽史は、ヨーロッパ前衛音楽のはるかな響きを共有しながら、解き放たれた空想の刻(とき)を生きる。
 戦時の音楽文化統制という実体のともなわない制度が同時代の音楽におよぼした影響は、当時の音楽的水準ゆえか、音楽的実質とはけっして共振しえなかったと考えてよいだろう。
 戦後という、その外延に、前衛・反逆の歴史が刻まれるというのも、不可思議な物語=歴史(ヒストリー)の、さらなる逸話(エピソード)であろうか。
 戦後の創作史は、いうまでもないが、さまざまな同人会的グループによる作品展がその中心になる。こんにちもっとも知られている「実験工房」のようなマルチメディア的な運動は、その外延の文化的多様性により、音楽創作の歴史性からまさに逸脱した条件を得るところから出発している。武満徹に代表される「現代音楽」──その「現代」という時代性は、同時代の文化全般にわたる共時性(コンテンポラリー)のもとで、芸術音楽の歴史性から自由になり、その出自と評価にたいして自己基準を設定することが可能となったことにより獲得されたと考えてよいだろう。

◎制度・アカデミズム

 ところで、芸術音楽の歴史性とは、いうまでもなくヨーロッパ社会における階級社会性を反映するものである。
 日本の洋楽移入は、とうぜんながら近代国家としての文化政策と市民文化の擬似的配置に、その根拠がもとめられる。そこでは制度としての音楽が必要とされるのは必然である。19世紀以降のヨーロッパ市民社会が、制度としての芸術音楽の拠点として、音楽教育機関の整備を意図したように、日本では明治時代以降、東京音楽学校(現在の東京芸術大学)がその中核におかれたわけだが、制度としての音楽文化のなかでも、創造の拠点とするべく作曲科が設置されたのは、1932年であったということが、日本の音楽文化の状況を表しているといえよう。
 さて、戦後の日本現代音楽史においてしばしば、東京芸術大学作曲科という唯一のアカデミー(制度)の歴史が、それに「対する」傍系・逸話としての反動の歴史のなかでのみ、記述されている点に注目したい。ここには、こんにちにいたるまで、傍系があたかも中心をしめるような擬似的配置のもとに、反アカデミズムの神話を生みだした人びとの物語(ヒストリー)がある。

◎舶来と土着

 ヨーロッパにおける新旧の音楽文化の推移は、おもに教会音楽、オペラ、交響曲、室内楽、歌曲といったジャンルの枠内でおこなわれてきた。
 1950年代のヨーロッパ前衛音楽が、こうしたジャンルの枠組み(ジャンル特有の、あるいは共通する形式や語法)をほぼ踏襲しながら(あるいは意図的に解消しながら)展開されたのは明らかであろう。こうした音楽創作におけるジャンル性は、19世紀以降の作曲専門教育における、各モデルとその分析、再創作という手順を反映している(とうぜんながら歴史的な作曲技法もまた、それじたい方法論として内在化する)。こうした歴史的な音楽創作の基準をあえて顧慮しないところに、「実験工房」のようなマルチメディア的創造の可能性が生じたといえるが、そこでは同時に、歴史的な創作原理との直接的な対峙はつねに回避されなければならなかったともいえる。あえていえばそこには制度(アカデミズム)の思わせぶりな影さえ暗示されていればよかったのである。こうした芸術運動を支持したのは文学、美術、映像作家たちであったが、彼らからすれば、音楽という実態の定かでない分野を巧妙に活用したというところであろうか。
 反面、演奏芸術については、日本においても、相当ていどにヨーロッパの音楽文化との共時性が反映した歴史がみられる。その中心的存在としての、戦前の東京音楽学校のお雇い外国人教師による教育は、戦後の実技教育に1930年代の新即物主義(ノイエ・ザハリヒカイト)の影響化にある演奏という遺産をのこす結果となった。またそうした旧世界からの舶来文化=精神的風土に対し、戦後の桐朋学園やヤマハ音楽教室等の、日本文化的特性に根ざした、いわば土着的方法論が、新世界(アメリカの技術主義と大衆性)を視野に入れながら対峙することになる。
 創作においても「ヨーロッパ対日本」といった、前衛の精神主義と日本的感性=慣用法が問題となる。

◎現代の音楽・音楽の現代を語る人びと

 「実験工房」にみるまでもなく、戦後の創作運動の主導者たちは、創作者であるより運動のオーガナイザーであることが多いが、場合により(武満徹から細川俊夫にいたる系譜にみられるように)、これらを創作者がしだいに兼ねていく状況もみられる。これらは、戦後の多くの作品発表活動の延長線上に、こんにちも主流をしめる同人的活動の水平的水準に比較して、メリハリにとんだ同時代性(コンテンポレイニティ)を特徴とする。
 1990年代以降こうした創作運動は、さらに若手作曲家を中心として、前衛以降のヨーロッパ現代音楽の潮流を学ぶという(あたかも1950年代を再現するかのような)講習会的組織に重点を移していくともいえるが、ここでは戦後の音楽学(アカデミズム)の教育をうけた批評家=音楽学者たちが、彼らとジャーナリズムとの仲介をひきうけ、みずからもジャーナリズム・企業体の磁場に周回軌道を合わせることになる。同時代性を基準とするかぎり、こうした批評家たちが、現代の音楽文化(消費)の主流をしめる、企業体主催公演や今日的な文化的イヴェントとしてのオペラ公演に、現代音楽の分野でつちかわれた、巧緻なその言説=レトリックをシフトするのもとうぜんといえようか。

◎伝統・アカデミズム

 東京音楽学校作曲部は、戦争(戦時文化協力)問題について、その論点すら明確にするすべもなく、あいまいな人事の入れ替えののち、戦後1949年の教育制度改革により東京芸術大学作曲科となる。信時潔(1887-1965)や橋本國彦(1904-49)らの戦前・戦中の指導者たちによる、ほんらいドイツ音楽志向の強い教育方針が、下総皖一(1898-1962)や長谷川良夫(1907-81)といった彼らの継承者により受けつがれたものと思われるが、同時にパリ国立高等音楽院によって構築された、技術と様式の修得に特化した近代的教育を信奉する池内友次郎(1906-91)による、和声・対位法・フーガからなる作曲書法(エクリチュール)教育(註1)を根幹とする新たな流派(エコール)が参入する(これらの作曲書法教育の前提となる、パリ音楽院のソルフェージュ教育の基幹が整備されるのは、さらに遅れて1980年以降、戦前同様に外国人お雇い教師であるH. ピュイグ=ロジェを中心とした継続的改革ののちであった)。こうした戦前・戦後の伝統的な作曲専門教育にみられる流派(エコール)に、あたかも日本的な伝統芸能のあり方になぞらえるように、アカデミズム・保守性というあいまいな概念が重ねあわされているところが、こんにちにいたっても反動性という評価を温存する根拠となっているのであろう。
 「前衛」というあきらかに時代的なファッション性に依拠する視点と、むしろさまざまな文化的テクストの織りなす歴史性から一定の基準で抽出される「アカデミズム」を、同列に比較することはほんらいむずかしい。しかしながら、その根拠のとぼしさが、前衛と反動の物語を織りなす意味でまた、歴史性といった視点を提供しているともいえようか。

◎同時代的(コンテンポラリー)な貧困

 1970年万博以降、ある意味権威主義化した現代音楽は、1980年以降の多極化(グローバル化とも称されるが)と同時に、さまざまな同人会的作品展の氾濫による飽和的な状況を経過してきたといってよいかもしれない。個人的創作という究極のアンデパンダンの理念が、東京という都市文化における、無辜な祝祭の刻を生みだしたのだ。
 いっぽう作曲という技術的手段は、高度に集約化された文化資本のまえに、その能率化と目的の明確性をもとめられることになる。アカデミズムという、いまだ唯一の学習形態にあって、若い作曲家たちは伝統的な音楽文化というあり方を、今日的にいいかえれば、「格差」と「下流志向」という観点から再度学習しなおすのである。20世紀以降の市民社会におけるマイノリティとしての「現代音楽」を大前提にし、「文化資本(いわゆる教養)には差別化機能がある」という伝統的(社会上層)概念を、「こんにちにおいてはもはや、文化資本には差別化機能がない」と反転させることによって伝統を無効化し、現代音楽の特権化という名の下層化(一般化)が進行する。それらはやがて、さらなる閉鎖的な階層化をもたらすことになる(註2)

註1 本連載第9回「メシアン、あるいは知の継承(Le savoir transmis)をめぐって」参照。
註2 「例えば、日本でも、社会上層では「文化資本(いわゆる教養)には差別機能がある」と信じられていますから、子どもたちは進んで文化資本を身につけようとします。逆に、社会下層では「文化資本には差別機能がない」という考え方のほうが受け容れやすいので、子どもたちはむしろ積極的に文化資本を拒否するふるまいによって同集団の大人たちからの評価を期待します。階層が閉鎖的になると、子どもは階層内部的な評価を通じてしか「自身」を高める道がありませんので、子どもは所属階層のイデオロギー性をいっそう「濃縮」した仕方で体現するようになります。そのようにして、わずかな世代交代の間に、階層は急速に閉鎖的になります」(内田樹『下流志向』講談社、2007年、114頁)
 本稿ではかならずしも、上記の引用テクストにおける文化一般の社会上層対下層の位置づけのレトリックを、音楽文化における伝統対現代性の問題に読み替えようとしているわけではない。むしろ言説の内部にある関係性の変化が、伝統的音楽文化においても、伝統性と現代性の反転を容易にひきおこすことがあるということを強調したい。

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