op.12 華麗なる変奏曲

主題となったオペラ

 主題はフェルディナンド・エロールの未完成のオペラ「リュドヴィク」である。
 エロールは1791年に生まれ、オペラ・コミックの作曲家として「マリ」や「ザンパ」といった作品で大成功をおさめたが、重い結核のため「リュドヴィク」を完成できずに1833年に死んでしまった。しかしすぐにアレヴィが手を加え、オペラ・コミック座で上演され、まもなくショパンに変奏作曲依頼が来た。
 ショパンは「リュドヴィク」の第1幕第2場でのソプラノと合唱によるロンド「わたしは聖衣を売る」を主題にして変奏曲を作り、エンマ・ホースフォードに献呈している。
 全体は序奏と変奏部分4曲、そして終曲という構成だ。序奏と終曲、コーダが非常に華麗であるが、その他はショパンの作品にしてはどこか精彩とまとまりに欠けるともいわれる。しかし、オペラからの抜粋曲をサロンでも楽しめるよう、室内楽やピアノへの編曲版が大人気だったという時代状況を反映した創作であることは興味深い。そして序曲と終曲はショパンらしい流麗さが聞こえてくることに、やはり耳を奪われる。

オペラの旋律をテーマにした作品について

 ショパンがオペラ好きだったことはよく知られている。17歳のときに作ったピアノとオーケスラによる「モーツァルトの歌劇『ドン・ジョヴァンニ』のアリア『ラ・チ・ダレム・ラ・マーノ』による変奏曲」(op.2)、パリに出てくると「マイヤベーアの歌劇『鬼のロベール』の主題によるチェロとピアノのための二大協奏曲」、そして「ロッシーニの歌劇『シンデレラ』の主題によるフルートピアノのための変奏曲」でオペラの旋律を効果的に使って、原作の人気とともにもてはやされた。
 しかし「ラ・チ・ダレム・ラ・マーノ」以外の2曲は作品番号を付けるにいたっていないが、その理由は明らかではない。マイヤベーアのオペラはパリに到着したショパンが驚いたもののひとつにあげられる。大規模な舞台装置、派手な演出、数多くの主演者、壮麗な合唱、それまで見たどのオペラよりも娯楽性が強くて、その意味ですっかり魅了されてしまった。楽譜出版社がこのオペラの人気にあやかろうとする依頼を受けて、チェロとピアノのための二大協奏曲ができあがった。ただショパンは作曲をチェロ奏者のフランコムに手伝ってもらっていることなどから自ら作品番号を付けるにいたらなかったのだろう。そして「シンデレラ」のテーマによる変奏曲は、ショパン自身の作曲でなはないかもしれないとの憶測もあるので、今後の研究が待たれる。ただしショパンはワルシャワでロッシーニの「シンデレラ」を見ていること、父ミコワイがフルートを演奏したので、家族音楽会で披露するためにこの作品を作った可能性も多分にあり、作品番号を付けるほどの内容ではないと判断したとも考えられる。

作曲の頃のショパン、カルクブレンナーとの出会い

 1833年というと、ショパンがパリ生活を謳歌しはじめる頃と重なる。
 パリに到着した翌年の1832年は、リストやメンデルスゾーンなどと知り合い、プレイエル・ホールで2月26日、パリ・デビュー・コンサートに出演している。
 この演奏会開催にあたってはパリ随一の音楽家の力によるところが大きい。
 パリには傑出した音楽家がたくさんいて、中でもショパンが会いたいと望んでいたひとりがピアニストのカルクブレンナー(1785‐1849)だった。パエールの紹介で会いに行くと、ピアノ演奏を所望され、そこで協奏曲ホ短調を聞いてもらった。カルクブレンナーはすっかり感動して、レッスン料なしで3年間教えようと申し出た。異例の言葉なのはショパンもすぐに理解したが、でも3年間というのは少し長すぎるし、それに何よりも、今まで、作曲を習うことはあっても演奏の指導を取り立てて必要だといわれたことなどない。そこでワルシャワの家族に相談の手紙を書いた。
 驚いたのは父のみならず、師のエルスネルだった。パリから届いたのが演奏家としての動向ではなく、教えてもらうべきかどうかという内容だったからだ。もどかしい思いを乗せて返事が出された。ショパンの才能に嫉妬して、そんな申し出をしたのだろう、とんでもないというエルスネルの言葉をルドヴィカが伝えている。

プレイエル・ホールでデビュー

 カルクブレンナーは弟子になることを断られると、今度はパリでのデビューを飾るためのコンサート開催をショパンに申し出た。ホールを所有しピアノ製造業者であるプレイエルの協力者であるカルクブレンナーは、演奏会の後ろ盾となろうというのだ。その上、デビュー演奏会を新作で飾ることまで提案した。6台のピアノのための「序奏と行進曲付き大ポロネーズ」、ショパンはカルクブレンナーやヒラーと共演した。そして協奏曲ホ短調や、「ラ・チ・ダレム・ラ・マーノ変奏曲」などを演奏した。

ロスチャイルド家で幸運をつかむ

 デビュー演奏会から3ヵ月後の5月には音楽院ホールでアブネック指揮による慈善演奏会で協奏曲の演奏を依頼された。音楽家としての地位は徐々にできていったが、演奏会での収入はあてになるほどではない。生活の糧をレッスンに求めることにしたいと考えるようになった頃、ジェイムズ・ド・ロスチャイルド家のサロンに招かれた。友人のヴァランティン・ラジヴィウに誘われてロスチャイルド家で演奏を披露した。驚きと感動で静まりかえるサロンの中、音楽を心から愛するロスチャイルド夫人ベッティは、自らもピアノ演奏を得意とするため、ショパンにすっかり魅せられてしまった。演奏が終わると感嘆の言葉と、可能であるのならぜひレッスンをと懇願した。社交界のファースト・レディー的な存在のベッティがショパンに弟子入りしたことが、瞬く間に貴族たちの間に広まった。
 品性のある美しい立ち居振る舞いと会話、そして何よりも奇跡的な芸術である音楽を生み出すショパン、その人からレッスンを受けることができるとあって、弟子入り志願者は急増した。

献呈者について

 ショパンのレッスンを受ける幸運を手にできるのは、わずかな人に限られている。1日5人しか教えないからだ。ロスチャイルド家ではベッティと娘のシャルロッテが弟子入りした。レッスンによって、ショパンは社会上層の人たちとの交流し、大使館に招かれて演奏を披露した。大使、公爵、大臣の子女が弟子入りを求め、そのひとりがエンマ・ホースフォードで、ショパンからこの作品を献呈された。

op.12 華麗なる変奏曲 変ロ長調   [1833年完成(23歳) 1833年出版]

序奏 変ロ長調 4分の4拍子 アレグロ・マエストーソ
 高音から一挙になだれ落ちるような勢いで始まる。すぐに甘い旋律になる。この序奏は主題部分との対照のために甘い表情を持たせたのかもしれない。
主題 変ロ長調 8分の6拍子 アレグロ・モデラート
 オペラ第1幕第2場「わたしは聖衣を売る」と歌うソプラノと合唱による簡素なロンド主題。
第1変奏
 主題を回音の型で装飾するが、主題が本来感じさせる簡素な雰囲気は残っている。
第2変奏
 スケルツォは軽快だが、両手が同じリズムで動くので、技巧性をあまり聞かせない。
第3変奏
 レントとなって、ノクターンのような雰囲気で、装飾的なさまざまな音型が多用されている。
第4変奏 華麗なコーダ
 再びスケルツォで今度はヴィヴァーチェ。終わりに向かって華麗さを増す。
 この作品には依頼されて作っているため、ショパンらしい天才的で緻密な音運びにあまり耳を奪われない。しかし纏め上げる終曲の流麗さ、技巧的な完成度、そこに聞こえてくる美しさはさすがのものとなっている。