本日5月3日(日・祝)から3日間にわたり東京国際フォーラムほか丸の内エリアで開催される「ラ・フォル・ジュルネTOKYO 2026」。音楽祭の創始者で昨年までアーティスティック・ディレクターをつとめたルネ・マルタン氏をめぐるかずかずの疑惑が報じられたのは昨年秋でした。氏の不在のなか開催される音楽祭に寄せて、『ルネ・マルタン プロデュースの極意』の著者で音楽ジャーナリスト・評論家の林田直樹さんがメッセージを寄せてくださいました。どうぞお読みください。
ルネ・マルタン不在のラ・フォル・ジュルネTOKYO2026に思う
昨秋フランスで報道され、2月の東京での記者会見でも明らかになったように、ルネ・マルタンは、従業員へのハラスメントおよび資金面での疑惑により、本場ナントでのラ・フォル・ジュルネ、およびラ・ロック・ダンテロン国際ピアノ音楽祭のアーティスティック・ディレクターの職を失った。これにともない、東京のラ・フォル・ジュルネもナントの方針にならい、ルネ不在のまま継続されることになった。
真相が明らかになっていないため、疑惑の詳細についてはコメントすべきではないが、およそ20年前からルネを取材し、芸術的なリーダーシップに共感してきた一人として、今回の件は残念でならない。ゴールデンウィークの東京国際フォーラムで、いつものように華やかにラ・フォル・ジュルネTOKYOが開催されていても、そこにルネの姿がないことは、正直いって少しポッカリとした空虚な気持ちですらある。
これまで毎年ルネは、必ずOTTAVA特設スタジオでの公開番組にゲストとしてやってきてくれた。音楽祭全体のテーマについて知的な視点から俯瞰的に解説し、未知の魅力的な音楽作品や演奏家を熱心に紹介し、次年度に向けてのビジョンを熱く語ってくれた。ルネは壮大な夢を語る人であった。
クラシック音楽の民主化を体現するための巨大音楽祭という誰も思いつかなかったような仕組みを考案・実現し、古楽も民族音楽もジャズも前衛も絶妙に調和する多様な音楽のひしめく、ユートピアのような祝祭空間を作り出した。
いまでは当たり前のように享受されているラ・フォル・ジュルネだが、2005年に始まったときは、まさしく革命的な出来事だったのである。2011年の東日本大震災と原発事故の直後に開催されたラ・フォル・ジュルネは今も忘れられない。どんなに日本が危険な状況にあろうとも(実際ヨーロッパからはそう見えたはずである)、ルネの意志は固く、必ず音楽の力によって助けに行くぞという覚悟すら感じさせたほどである。
ルネはこう語っていた。
「社会が悲劇的状況にあるとき、他の人たちの存在を近くに感じることが直ちに必要になってきます。みんなが顔を合わせ、みんなが一緒にいる場所が、何かを分かち合う時間をもつことが、より強く必要になってくる。そこに音楽の役割がある」ルネは、なぜ音楽が社会にとって必要か、その役割とは何なのか、きわめて雄弁な言葉で語ることのできる人物であった。
常識的なレパートリーや高いチケット代で硬直してしまったクラシック界に新風をもたらし、好奇心をかきたてるようなプログラミングを考案する天才でもあった。
アーティストが孤立に落ち込んでしまわないよう、あらゆる手立てを尽くそうとしていたし、多様な聴衆との結びつきによって彼らが自信を取り戻すことができる場がラ・フォル・ジュルネだった。音楽祭の精神的支柱であったルネ・マルタンを失ったラ・フォル・ジュルネは今後どうなっていくのだろうか。
ルネが去り、仕組みだけが残ったラ・フォル・ジュルネ。
そのプログラムを動かす力は、何であるべきなのか。
単にあれをやりたい、これもやりたい、それはやっておこう、というようなアーティストの欲求と、運営側のバランス感覚、そしてマーケットの原理だけで動くものであっていいのだろうか?
できるだけ低価格であること、質が高いことは最も重要だが、やはりプログラミングの中心には――音楽のみならず人文学全般にわたる総合的な教養と、芸術と社会を結び付ける俯瞰的視野に裏付けられた――哲学があって欲しい。
そうでなければ、どこの音楽祭も似たり寄ったりのコンテンツになりかねないからだ。『ルネ・マルタン プロデュースの極意』の著者として、読者の皆様にお伝えしたいのは、フランス本国での疑惑のゆくえがどうあれ、ルネがLFJの創設者/アーティスティック・ディレクターとしておこなってきたことや、本書で語られている言葉の価値は、決して損なわれるものではなく、むしろ前に進むためのヒントに満ちているということである。
林田直樹