日本音楽学会の機関誌『音楽学』第70巻1号にて、音楽学者の広瀬大介さんが堀朋平著『わが友、シューベルト』を書評してくださいました。
堀朋平は、ひとりの研究者として、シューベルトを題材にとりつつ、研究者としての在り方を再定義する、現時点で唯一無二の存在となっている。[…]堀は、これまで「資料がないので踏み込めなかった」領域に、すなわち研究者としてのタブーとされていた諸々を、ごく自然に、軽やかに踏み越えてゆく。[略]そして、自分が立てた命題を解き明かすためには、あらゆる手段を駆使してみせる。
[略]いわゆる音楽分析の手法、歴史学的アプローチ以外にも、広範にわたる知見を駆使して、使える手段をことごとく使う。これまではこのようなアプローチによる本が編まれる際には、複数の研究者が集まって、自分の専門分野から言えることを表明し、その専門知の集積からほんの一歩、対象に踏み込むことができれば御の字であっただろう[…]。堀は、これまで、複数の筆者・登壇者によって語られてきたはずの役割を一手に担い、そのすべてを有機的に接合し、読者を見たことのない世界へと連れてゆく。
と、まず、この本から浮かびあがってくる著者の研究姿勢の、常識はずれの(?)ユニークさを指摘。そして、書名と装丁にこめられた思いにも言及してくださっています。
堀は、シューベルトに対して、「わが友。」と語りかけるだけの自信を、自身の弛まぬ努力によって、ついに手に入れることができたのである。[略]いまや若手研究者の多くがあまり正面切って取り上げなくなった、時代遅れの感が否めない大作曲家研究の新しい可能性を切り拓いたのである。
堀のやさしさは、この本を通読した読者はもう、その「友の輪」にいるのだ、と呼びかけてくれる点にもあらわれる。友の輪が全世界・そして宇宙を包摂するようなマクロな世界も、そして作品そのものへのアプローチをより身近にしてくれるようなミクロな世界も、同時に兼ね備えた著作であることは、中心に穴の空いた、凝った装幀の表紙(ブックデザイン:木下悠)によっても暗示されていよう。
その後、同書の内容について、とくに著者がシューベルト理解のキーコンセプトのひとつと位置づける「副次主題」について、そしてシューベルトにおける調選択について、論を進めていきます。
「[…]シューベルトの副次主題が三つの調を繰り返し往還し揺動するとき、聞き手は、目的地の定かならぬ閉域で、いわば“夕闇→薄明→夜明け”という備考の旅路を行くごとき現象学的な聴取体験を味わうことになろう」([同書]470[頁])、という堀の主張が、[…]単なる研究論文以上の説得力をもって読み手に迫ってくる。
ハードコアな音楽分析的叙述と「ときには上質のエッセイを読んでいるような錯覚に陥る瞬間もある」とも感じられる叙情的な筆致とをあわせもつ、本書の(おそらく多くの音楽学者にとっては“異様”とも思われそうな)ユニークさを、高く肯定的に評してくださって、わが意を得たりの思いでした。