「読書はアンサンブル」──創業10周年にあたって

10年前の8月にアルテスのウェブサイトがオープンしたとき、私はこんなことを書きました。

 音楽のような本をつくりたい──ご挨拶にかえて

「音楽についての本」よりも「音楽のような本」を、というのは、いかにも青臭いマニフェストだったかもしれません。しかし、私たちにとってこの10年間は、この思いをいかに現実のものにするかという試行錯誤の連続でした。

2008年に邦訳出版したダニエル・バレンボイムの著書にこんな一節があります。

 アラブ人の奏者とイスラエル人の奏者が同じ譜面台をいっしょに使う様子を目にし、私たちは心の高ぶりをおぼえた。二人は同じ音を、同じ強弱、同じ弓づかい、同じサウンド、同じ表現で演奏しようとしていた。ともに情熱をいだいていることを、二人でいっしょにやろうとしていた。──ダニエル・バレンボイム『バレンボイム音楽論──対話と共存のフーガ』蓑田洋子訳、アルテスパブリッシング、2008

バレンボイムがパレスティナの思想家エドワード・サイードとともに、イスラエルとアラブ諸国の若者をメンバーとして設立した「ウェスト=イースタン・ディヴァン・オーケストラ」のリハーサルの一場面です。

敵対する民族どうしが音楽をともに奏でる──それだけなら、三文芝居にもありそうなシーンでしょう。しかし、この場面にリアリティをあたえ、真に印象深いものにしているのは、二人の若者が前にしているひとつの譜面台です。そこにおかれた楽譜は、紙とインクという、音楽とはなんの関係もないマテリアルから成る物体であり、そこに記された音符や五線は、それだけではなんの音響も生み出さないたんなる記号です。こうした物質性にまずは身をゆだね、そこに記された約束事を受け入れることでしか、音楽は姿を現さない。さらにいえば、隣の奏者がその楽譜をどう読むか、あるいはその楽譜が歴史的にどう読まれてきたかについての配慮もしぜん生じてきます。そのような手続きを経てはじめて、真の対話、真の共生としての「音楽」が実現するのです。

──いかがでしょう、読書も同じではないでしょうか? まずは物質としての本をひもとき、さまざまな約束事を受け入れ、読むこと。その本に堆積する歴史的な読みをかえりみ、同時代的な他者の読みを意識し、さらに、その本を読むことで自分の精神が刻一刻と変容していく様を驚きをもって受け入れること。それは、他の時代の読者との、同時代の読者との、そして自分の中に棲む未だ出会うことのなかった読者との、対話であり、共生であり、アンサンブルであるといってもいいでしょう。

 読書の楽しみの半分は、ひとりですること、つまり本を読むことよ。あとの半分は、みんなで集まって話し合うこと。──アン・ウォームズリー『プリズン・ブック・クラブ──コリンズ・ベイ刑務所読書会の一年』向井和美訳、紀伊國屋書店、2016)

「音楽のような本」をつくるべく試行錯誤した10年を終え、これからは「みんなで集まって話し合うこと」──つまり、「アンサンブルとしての読書」を実現すべく、さまざまな試みをおこなっていきたいと思っています。本日放送開始となるFMラジオ番組「ミュージックブックカフェ」をはじめ、べつに鈴木が書いている「アルテスフレンズ/サポーター」などなど、さまざまな試みを始めます。どうぞお楽しみに。

最後に、この10年間のアルテスパブリッシングを応援し、ささえてくださったみなさまに、心からの御礼を申し上げます。

[代表取締役 木村 元]  ※ロゴ・デザイン=折田烈(餅屋デザイン)