【お詫びと訂正】『ニュー・ジャズ・スタディーズ』に誤りがありました

ニュー・ジャズ・スタディーズ

読者各位
 今年7月に刊行しました『ニュー・ジャズ・スタディーズ』所収のふたつの論文ににつきまして、音楽ジャーナリストの横井一江さんから、原文の誤りや注の間違い、校正ミスなどたいへんきめ細かいご指摘をいただきました。
 編者3人とアルテスパブリッシングで確認した上で、以下のようなミス等がありましたことをご報告し、お詫び申し上げます。
 いくつかお恥ずかしいケアレス・ミスもあり、読者諸賢のご海容を乞うばかりです。貴重な時間とエネルギーを割いて丁寧にご教示くださった横井さんには重ねて御礼申し上げます。
 また、ご指摘・ご教示いただいたもののうち、著者の認識に関しての異論、見解の相違、事実関係の認識違いなど、いくつかの事項については、横井さんのブログ『音楽のながいしっぽ』に詳しく見解がアップされていますので、関心をお持ちの方はご覧になってください。
 なお、以下の内容の責任はすべてアルテスパブリッシングおよび編者にあります。
2010年10月4日
宮脇俊文、細川周平、マイク・モラスキー
アルテスパブリッシング 鈴木茂


【p341〜 マイク・ヘフリー『アメリカの向こうの自由世界』】
・342p上段最後の行
「彼がGUO the Globe Unity Orchestraの復活版(ベルリン・コンテンポラリー・ ジャズ ・オーケストラ the Berlin Contemporary Jazz Orchestara)を率いるのを目撃し」
*この「復活版」は「reincarnation」を訳したものですが、GUOとベルリン・コンテンポラリー・ジャズ・オーケストラはコンセプトの異なるバンドですので、ここは例えば「生まれ変わった新しいバンド」などと訳したほうが適切でした。横井さんによれば、こののち2002年にGUOは活動を再開し、逆に後者は活動を休止しているそうですが、著者のヘフリー氏はそれを知る前にこの論文を執筆したものと思われます。
・344p上段17行目〜下段1行目
「アルベルト・マンゲルスドルフが一九六三年以来何度となく行なっているアジア・ツアーと同じく、ゲーテ・インスティテュートが一九八〇年のフォン・シュリッペンバッハとGUOのアジア・ツアーのスポンサーとなり、日本のジャズ・シーンとの重要なコネクションを広げていった。」
※横井さんが副島輝人さんなど当時の関係者に確認なさったうえで「1980年に日本のジャズ・シーンと交流があった」という記述は事実に反する、というご指摘をいただきました。詳細については、ブログを参照していただきたいと思います。http://kazueyokoi.exblog.jp/14884463/
・344p下段19行目・20行目
×ボンベイ → ○ムンバイ
・345p上段7行目
×ジャズ・ジャートラ → ジャズ・ヤトラ
・345p上段11〜13行目
「(ウィリアム・パーカーが)親しい友人のペーター・コヴァルトと共に始めたのが、今のヴィジョン・フェスティヴァルだ」
※コヴァルトとパーカーが開催したのは サウンド・ユニティ・フェスティヴァル Sound Unity Festival(1984年と1988年)で、ヴィジョン・フェスティヴァルは彼らとともにSound Unity Festivalの開催に貢献したニコルソン・パーカーがのちに始めたものなので、これは原文の誤りです。
http://www.visionfestival.org/about/board、http://en.wikipedia.org/wiki/Vision_Festival もご参照ください。
・346p上段3〜6行目
「ベルリン・ジャズ・デイズは彼が一九六四年に立ち上げたベルリンのフェスティヴァルであり、これが刺激となってFMPの第一回トータル・ミュージック・ミーティングが催されることになる」
※「ベルリン・ジャズ・デイズ Berliner Jazz Tage」はベルリン・ジャズ・フェスティヴァル(Jazz Fest Berlin)が始まった当初の名前です。正確さに欠く訳文でした。ちなみに、最初のトータル・ミュージック・ミーティングは1968年に開催されています。
・346p上段8〜9行目
「いちばん最初のジャズ・デイズのテーマは「ジャズが世界と出会う」だった」
※このテーマで開催されたのは1967年であり、「いちばん最初」ではありません。原文の誤記です。
・349p上段8行目以下368p上段3行目まで
※たびたび出てくる〈解放〉は原文では「Emanzipation」にあたります。これは『ジャズ──その歴史と鑑賞』などの著書があるジャズ評論家ヨアヒム・ベーレントの用語に依拠して著者が用いているものです。原書126pには、ベーレントが86年の著書“Ein Fenster aus Jazz”でギュンター・ハンペルが1965年に発表したアルバム“Heartplants”に触れた際に初めて使われた旨の記述があります。
・355p下段9行目訳注
×一九四四−二〇〇二 → ○一九五七〜
※訳注作成時の編集部のミスです。
・368p下段7行目
「羽野昌二は五〇歳」
※この年齢は刊行当時のもので、羽野昌二は一九五五年生まれです。
【p375〜デイヴィッド・ノヴァック『音、無音、即興のグローバルな価値』】
・376p最後の行
「ライヴハウス」
※オフサイトはギャラリー、フリー・スペース、ショップ、カフェからなるスペースで、日本で言ういわゆるライヴハウスとは異なります。
・379p上段20行目〜同下段1行目
「同時代のヨーロッパ人演奏者およびグループ(デレク・ベイリー……LMC…カンパニー Companyなど)」
※付言しておきますと、このうちLMCとカンパニーは演奏団体ではなく、組織の名称です。
・382p上段16〜18行目
「代々木の小さなライヴ・スペース「オフサイト」における1990年代末から2000年代初頭に至る「〈音響〉シーン」の発展である。」
※オフサイトがオープンしたのは2000年でしたので、著者の誤記でした。ちなみにオフサイトは2005年に活動を停止しています。
http://www.japanimprov.com/offsite/offsitej/
・P383下段14〜15行目
「専属デザイナーのタナベマサエ」
※Improvised Music from JapanがリリースしたCDのうち、タナベマサエがデザインを手がけたものは3割ほどに過ぎませんし、専属デザイナーでもありません。
・386p
×ノー・インプット・ミキサー → ○ノー・インプット・ミキシング・ボード
・392p最後の行〜393p1行目
×「二〇〇四年、「ミーティング・アット・オフサイト」は解散し」 → ○「二〇〇三年一二月、「ミーティング・アット・オフサイト」は終了し」
※「ミーティング・アット・オフサイト」は中村としまる、秋山徹次、杉本拓が2000年8月からオフサイトで始めたコンサート・シリーズです。
・394p 原注1
「LMC(一九七〇年代初めに結成)はヨーロッパの実験音楽シーンで今も活躍し続けている」
※LMCの結成は正しくは一九七五年。また英ウィキペディアによると二〇〇九年に活動を停止している。http://en.wikipedia.org/wiki/London_Musicians_Collective
・394p 原注1
×「実験音楽の月刊誌『ワイアー』を編集している」 → ○「実験音楽の月刊誌『レゾナンス』を編集している」
※著者の誤記でした。
以上です。