『新しい和声』への著者まえがきを公開します

4/20発売予定の『新しい和声』に著者である林達也さんが寄せたまえがきを発売に先がけて公開いたします。

本書を学ぶにあたって

 著者は長年、ソルフェージュとエクリチュール(和声、対位法、フーガ)という音楽の基礎教育の根幹をなす分野の研究および授業に直接携わってきたが、その経験から、作曲家をめざす者はもとより、演奏家、音楽学者、音楽教育者をこころざす人たちにとっても有効な和声教育とは何か、ということをつねに考えつづけてきた。
 西洋音楽の理解において、「和声の習得」がきわめて重要なものであることはいうまでもないが、残念なことに、わが国では文化的にも、あるいは音楽社会の現状からみても、いまだにそのことについて正しい認識がなされているとはいいがたい。
 今日まで日本でおこなわれてきた和声の基礎教育は、独自の和音記号の開発、そして和音連結のパターンをカテゴライズし認識させるという方法論によって、歴史的にみてもひじょうに興味深い進展を示したといえよう。しかしながら、煩雑な規則や複雑なローマ数字による和音記号、そして和声連結のパターンをひたすら機械的におぼえこませることに終始する傾向があったことは否定できない。それゆえ本書は、従来の和声教育(とくに音大の副科和声)の現場で授業をしてきた私自身が、長いあいだもちつづけてきた疑問にたいするひとつの解決のあり方を示すものともいえる。
 また著者自身が留学時代、パリ国立高等音楽院(コンセルヴァトワール)のさまざまなクラスで長年にわたって学び、とくにエクリチュールの教育というものが、演奏や音楽学といった専門分野の教育の基礎において、いかに重要な役目をはたしているのかを再認識したが、その経験もなにか形に残すことができないかと考えていた。演奏家をこころざし、または音楽研究のために海外に留学する人たちにとっても、実践的で、かつ直接役に立つ指針をもつ和声の本を書かねばならないのではないか──それが本書を執筆した率直な動機である。
 演奏家にとって和声教育を直接有効なものとするためには、まず日本国内でしか通用しない和音の特殊で複雑なローマ数字表記(これはまた、移動Doを基本とした分析法に留まっている)を排し、和音というものが低音から上方へ垂直方向に音を堆積させたひとつの音響体であるという原点に立ち戻って、ヨーロッパで古来から伝統的にもちいられているアラビア数字による数字付き低音による和音表記がもっともふさわしいという結論にいたった。
 たとえばバッハの無伴奏ヴァイオリンのためのソナタやパルティータ、もしくはショパンの練習曲集やドビュッシーやメシアンの前奏曲集を演奏するにさいしても、また、合唱や器楽アンサンブルの活動においても、和声を知覚するうえでもっとも基本的かつ重要なのは、低音からの縦方向の音程を認識し、それをひとつの音響体として聴覚的に統合する能力であり、それを習得するにはヨーロッパの伝統的な通奏低音法による和声教育がいちばん有益なのである。またその伝統を突き詰めていくと、和声教育はほんらい、机上での理論的・知的認識にもとづく学習法のみならず(もちろんこれも和声学習ではないがしろにできない重要な基礎部分ではあるが)、実際の楽器(とくに鍵盤楽器)をもちいた身体的および聴覚的認識にもとづく学習が有効であるといえる。和声の習得が、演奏行為に直接かかわってくることにぜひ気づいてほしい。

 本書では、基本的には機能和声の連結法を中心としながらも、17世紀から18世紀中期あたりまで重要視されていた「通奏低音法」を、和声学習の核として採用している。それゆえ、数字付き低音による和声学習といえるだろう(フランス式数字を使用)。
 これは、規則化された和声理論だけを中心とする従来の和声教科書とは異なり、和声学習を実際の演奏行為と一体化させることが重要であるという認識にもとづく。こうした考えから、本書では、①和声理論と書法を②鍵盤楽器による和声(移調奏、反復進行の練習課題)と結合すること、また③旋律にピアノ伴奏を付ける課題学習(パリ国立高等音楽院の伴奏科では筆者が在籍していた時代もおこなわれていた)なども実際の音楽活動に有益であろうと考え、新たに項をもうけた。
 さらに、T(トニック)、D(ドミナント)などの機能表示についても新たな提案がなされ、従来サブドミナント(S)として扱われている機能についても、新たに「プレドミナント(PrD)」「プラガル(Pl)」の2種に分類して、学習者が理解しやすいように説明している。
 また、和声の規則を記述するさいに、学習者が複雑で煩雑な規則にとらわれすぎないよう、重要な事項をとりあげ、不必要と思われる事項はなるべく省略することを心がけた。
 なお、ソプラノ課題に和音数字が記されているものもあるが、これは学習者の実施を補助するために、巻末の範例集の和音数字を参考までに記したものである。扱われる和音と配置する箇所を示唆しているにすぎないので、かならずしもこのとおりに実施する必要はなく、惑わされることがないよう留意されたい。

 学習者には、本書で学んだ内容をさらに身体化させるためにも、学習した課題の和音の響きを、ピアノや鍵盤楽器などを使ってゆっくりと聴きながら復習することをぜひすすめたい。本書ではそのために、移調奏、反復進行の練習課題がもうけられている。それによって、聴覚(とくに内的聴感覚)とエクリチュール(音楽書式)とが一体化し、それこそが西洋の音楽の演奏、創作、研究をつなぐ唯一の道であることにおのずと気づくことができるだろう。
 和声学習の本質は、人類が生み出した文化のなかでもっとも輝きをはなつ存在──藝術──の最高の表現であり、関心事でありつづけている〈美〉そのものの探究にあるのである。

林達也
作曲家・ピアニスト
東京藝術大学音楽学部作曲科准教授

先日公開した小鍛冶邦隆さんによる「解説」もお読みください。

[木村]